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ドイツ代表監督・スタッフ紹介
2006年7月12日、辞任を発表したユルゲン・クリンスマン前監督の後任として、前代表コーチのヨアヒム・レブ氏が第10代ドイツ代表監督に昇格した。また、オリヴァー・ビアホフチームマネージャー、アンドレアス・ケプケGKコーチは留任が決まった。
さらに、8月23日、空席となっていた代表コーチのポストに、レッドブル・ザルツブルクでコーチを務めていたハンス・ディーター・フリック氏が就任した。
 ヨアヒム・レブ氏(ドイツ代表監督)
出身地: バーデンヴュルテンブルク州シェーナウ(フライブルク郊外)
生年月日: 1960年02月03日
家族構成: 妻(ダニエラさん)
主な獲得タイトル: |
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1997年DFB杯(VfBシュツットガルト監督として) / 2002年オーストリアリーグ優勝(FCチロル監督として) |
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主なキャリア: |
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U21ドイツ代表として4試合出場無得点 / ドイツ・ブンデスリーガにて52試合出場7得点
ドイツ・ブンデスリーガ2部にて252試合出場81得点 |
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略歴: |
| 1960年 |
フライブルク郊外シェーナウに生まれる。 / FCシェーナウ、E・フライブルクでユース時代を過ごす。 |
| 1978年 |
SCフライブルク入団 |
| 1980年 |
VfBシュツットガルト入団 |
| 1981年 |
ドイツ・ブンデスリーガデビュー(2月) / アイントラハト・フランクフルト入団(7月)
ドイツ・ブンデスリーガ初ゴール(8月、開幕節にて) |
| 1982年 |
SCフライブルク復帰 |
| 1984年 |
カールスルーエSCで1シーズンプレー |
| 1985年 |
SCフライブルク復帰 |
| 1989年 |
FCシャフハウゼン入団 |
| 1992年 |
FCヴィンタートゥア入団(選手兼Aユース監督) |
| 1994年 |
FCフラウエンフェルド入団(選手兼監督として活躍) |
| 1995年 |
現役引退 / VfBシュツットガルト助監督就任(7月) |
| 1996年 |
VfBシュツットガルト暫定監督就任(8月) / VfBシュツットガルト監督就任(9月) |
| 1997年 |
DFB杯優勝(5月) |
| 1998年 |
UEFAカップ・ウィナーズ杯準優勝(5月) / フェネルバフチェ監督就任 |
| 1999年 |
フェネルバフチェ退団(6月) / カールスルーエSC監督就任(10月) |
| 2000年 |
カールスルーエSC退団(4月) |
| 2001年 |
アダナスポル監督就任(1月) / アダナスポル退団(2月) / FCチロル監督就任(10月) |
| 2002年 |
オーストリア・ブンデスリーガ優勝(FCチロル) / FCチロル退団 |
| 2003年 |
オーストリア・ウィーン監督就任(6月) |
| 2004年 |
オーストリア・ウィーン退団(6月) |
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| 2004年 |
ドイツ代表コーチ就任(8月) |
| 2006年 |
ドイツ代表監督就任(7月) |
 ハンス・ディーター・フリック氏(ドイツ代表コーチ)
出身地: バーデンヴュルテンブルク州ハイデルベルク
生年月日: 1965年02月24日
主な獲得タイトル: |
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1986、1987、1989、1990年ドイツ・ブンデスリーガ優勝 / 1986年DFB杯優勝 |
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主なキャリア: |
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ドイツ・ブンデスリーガにて148試合出場6得点 |
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略歴: |
| 1965年 |
バーデン・ヴュルテンブルク州ハイデルベルクに生まれる。
BSCミュッケンロッホ、SpVggネッカーゲミュント、SVサンドハウゼンでユース時代を過ごす。 |
| 1984年 |
バイエルン・ミュンヘン入団(7月) |
| 1985年 |
ドイツ・ブンデスリーガデビュー(11月) |
| 1986年 |
ドイツ・ブンデスリーガ初ゴール(11月) |
| 1990年 |
1.FCケルンへ移籍(7月) |
| 1993年 |
1.FCケルン退団(6月) |
| 1996年 |
FCバメンタール監督就任(7月) |
| 2000年 |
TSGホッフェンハイム監督就任(7月) |
| 2005年 |
TSGホッフェンハイム監督辞任(11月) |
| 2006年 |
レッドブル・ザルツブルクコーチ就任(6月) |
| − −
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| 2006年 |
ドイツ代表コーチ就任(8月) |
 アンドレアス・ケプケ氏(ドイツ代表GKコーチ)
出身地: シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州キール
生年月日: 1962年03月12日
家族構成: 妻(ビルギットさん)
主な獲得タイトル: |
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1990年W杯優勝(1994年、1998年も参加) / 1996年欧州選手権優勝 / 1992年欧州選手権準優勝
1988年ソウル五輪銅メダル / 1996年世界最優秀GK選手 |
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主なキャリア: |
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ドイツ代表として59試合出場 /
ドイツ・ブンデスリーガにて346試合出場2得点 / フランスリーグにて64試合出場 |
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略歴: |
| 1962年 |
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州キールに生まれる。
地元の名門ホルシュタイン・キールでユース時代を過ごす |
| 1981年 |
ホルシュタイン・キールのGKとしてブンデスリーガ2部に初出場(2月) |
| 1983年 |
SCシャルロッテンブルク(ブンデスリーガ2部)へ移籍(7月) |
| 1984年 |
ヘルタ・ベルリン(ブンデスリーガ2部)へ移籍(7月) |
| 1986年 |
1.FCニュルンベルクへ移籍(7月)、ドイツ・ブンデスリーガデビュー(8月、開幕節にて) |
| 1988年 |
ソウル五輪出場、銅メダル(8月) |
| 1990年 |
ドイツ代表デビュー(対デンマーク戦、5月) / W杯イタリア大会優勝(出場機会なし、6月) |
| 1992年 |
欧州選手権準優勝(出場機会なし、6月) / ブンデスリーガ初ゴール(PKを決める、10月) |
| 1993年 |
ドイツ年間最優秀選手賞受賞 |
| 1994年 |
W杯米国大会ベスト8(出場機会なし、6月) / アイントラハト・フランクフルトへ移籍(7月) |
| 1995年 |
ドイツ最優秀GK選手に選出 |
| 1996年 |
欧州選手権優勝(正GKとして全試合出場、大会最優秀GK選手に選出、6月) / 世界最優秀GK選手に選出
オリンピック・マルセイユへ移籍(7月) |
| 1998年 |
W杯米国大会ベスト8(正GKとして全試合出場、大会後に代表引退、6月) |
| 1999年 |
1.FCニュルンベルクへ移籍(1月) |
| 2001年 |
1.FCニュルンベルクが1部復帰を決めた最終節を最後に現役引退 |
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| 2004年 |
ドイツ代表GKコーチ就任(10月) |
 オリヴァー・ビアホフ氏(ドイツ代表チームマネージャー)
出身地: ノルトライン・ヴェストファーレン州エッセン
生年月日: 1968年05月01日
家族構成: 妻(クララさん)
本人公式サイト: http://www.bierhoff.de/
主な獲得タイトル: |
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1996年欧州選手権優勝(2000年も出場) / 2002年日韓W杯準優勝(1998年も出場)
1999年イタリア・セリエA優勝(ACミラン) |
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主なキャリア: |
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ドイツ代表として70試合出場35得点 / ドイツ・ブンデスリーガにて73試合出場10得点
オーストリア・ブンデスリーガにて32試合出場23得点 / イタリア・セリエAにて309試合出場148得点
フランス・ディヴィジオン1にて17試合出場4得点 |
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略歴: |
| 1968年 |
ノルトライン・ヴェストファーレン州エッセンにて生まれる。 |
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エッセナーSG、SWエッセンでユース時代を過ごす。 |
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バイヤー・ユルディンゲン(現KFCユルディンゲン05)入団 |
| 1986年 |
ブンデスリーガデビュー(9月)、ブンデスリーガ初ゴール(9月) |
| 1988年 |
ハンブルガーSV入団(7月) |
| 1989年 |
ボルシア・メンヒェングラッドバッハ入団(7月) |
| 1990年 |
SVザルツブルク(オーストリア)入団 |
| 1991年 |
アスコリ・カルチョ(イタリア)入団 |
| 1995年 |
ウディネーゼ・カルチョ(イタリア)入団(7月) |
| 1996年 |
ドイツ代表デビュー(2月)、ドイツ代表初ゴール(3月)、欧州選手権イングランド大会3試合出場2得点(6月) |
| 1998年 |
W杯フランス大会5試合出場3得点(6月)
ACミラン入団(7月) |
| 1999年 |
イタリア・セリエA優勝(ACミラン、5月) |
| 2000年 |
欧州選手権イングランド大会1試合出場無得点(6月) |
| 2001年 |
ASモナコ(フランス)入団(8月) |
| 2002年 |
日韓W杯5試合出場1得点(6月)、W杯後ドイツ代表引退を発表(7月)、キエヴォ・ヴェローナ(イタリア)入団(7月) |
| 2003年 |
ベガルタ仙台との親善試合を最後に現役引退(6月) |
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| 2004年 |
ドイツ代表チームマネージャー就任(7月) |
[歴代ドイツ代表監督について]
ヨアヒム・レブ監督以前の歴代ドイツ代表監督は以下の9人。2代目ゼップ・ヘルベルガー氏から6代目ベルティ・フォクツ氏までは、それぞれワールドカップもしくは欧州選手権での優勝経験を持つ。しかし、リベック氏以降のドイツ代表は国際大会での優勝から遠ざかっている。
なお、地元開催のワールドカップでドイツ代表を3位入賞に導いたユルゲン・クリンスマン前監督のプロフィールは以下の通り。
1. オットー・ネルツ氏(1923年〜1936年、70試合、42勝10分18敗、1949年死去)
2. ゼップ・ヘルベルガー(1936年〜1964年 162試合 92勝26分44敗)
1954年W杯スイス大会優勝、1977年に80歳で死去
3. ヘルムート・シェーン氏(1964年〜1978年 139試合 87勝30分22敗)
1972年欧州選手権優勝、1974年W杯西ドイツ大会優勝、1996年に80歳で死去
4.
ユップ・デアバル氏(1978年〜1984年、67試合、45勝11分11敗)
1980年欧州選手権優勝
5.
フランツ・ベッケンバウアー氏(1984年〜1990年、66試合、36勝17分13敗)
1990年W杯イタリア大会優勝
6.
ベルティ・フォクツ氏(1990年〜1998年、102試合、67勝23分12敗)
1996年欧州選手権イングランド大会優勝
7.
エリッヒ・リベック氏(1998年〜2000年、24試合、10勝6分8敗)
8. ルディ・フェラー氏(2000年〜2004年、53試合、29勝11分13敗)
9. ユルゲン・クリンスマン氏(2004年〜2006年、34試合、28勝8分6敗)
 ユルゲン・クリンスマン氏(ドイツ代表前監督)
出身地: シュツットガルト郊外ゲッピンゲン
生年月日: 1964年07月30日
家族構成:
妻(デビィさん)、一男一女(ジョナサン君、レイラちゃん)
本人公式サイト: http://www.juergenklinsmann.de/
主な獲得タイトル: |
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1990年W杯優勝、ベストイレブン(1994年、1998年も出場) / 1996年欧州選手権優勝
1992年欧州選手権準優勝(1988年も出場) / 1991、1996年UEFA杯優勝
1988年ソウル五輪銅メダル / 1997年ドイツ・ブンデスリーガ優勝
1988、1994年ドイツ年間最優秀選手 / 1995年イングランド年間最優秀選手
1988年ドイツ・ブンデスリーガ得点王 |
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主なキャリア: |
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ドイツ代表として108試合出場46得点 / ドイツ五輪代表として14試合出場8得点
ドイツU21代表として8試合出場3得点 / ドイツ・ブンデスリーガにて221試合出場110得点
イタリア・セリエAにて103試合出場36得点 / フランス・ディヴィジオン1にて65試合出場29得点
イングランド・プレミアリーグにて56試合出場29得点 |
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略歴: |
| 1964年 |
シュツットガルト郊外ゲッピンゲンにて生まれる。 |
| 1972年 |
TBギンゲン入団 |
| 1974年 |
SCガイスリンゲン入団 |
| 1978年 |
SVシュツットガルター・キッカーズ入団 |
| 1984年 |
VfBシュツットガルト入団(7月)、ドイツ・ブンデスリーガデビュー(8月、開幕節)
ドイツ・ブンデスリーガ初ゴール(8月、第2節で2ゴール) |
| 1987年 |
ドイツ代表デビュー(対ブラジル戦、12月) |
| 1988年 |
ドイツ代表初ゴール(対スイス戦、4月)、ドイツ・ブンデスリーガ得点王(5月)
欧州選手権西ドイツ大会4試合出場1得点(6月)、ソウル五輪出場、銅メダル(8月)、ドイツ年間最優秀選手 |
| 1989年 |
UEFA杯準優勝(VfBシュツットガルト、5月)、インテルナツィオナーレ(イタリア)入団(7月) |
| 1990年 |
W杯イタリア大会7試合出場3得点(6月) |
| 1992年 |
欧州選手権スウェーデン大会5試合出場1得点(6月)、ASモナコ(フランス)入団 |
| 1994年 |
W杯アメリカ大会試合出場(6月)、トッテナム・ホットスパー(イングランド)入団(7月)、ドイツ年間最優秀選手 |
| 1995年 |
イングランド年間最優秀選手、FCバイエルン・ミュンヘン入団(7月) |
| 1996年 |
UEFA杯優勝(バイエルン・ミュンヘン、5月)、欧州選手権イングランド大会5試合出場2得点(6月) |
| 1997年 |
ドイツ・ブンデスリーガ優勝(バイエルン・ミュンヘン、5月)、サンプドリア入団(7月)、サンプドリア退団(12月) |
| 1998年 |
トッテナム・ホットスパー入団(1月)、W杯フランス大会5試合出場3得点(6月)、トッテナム・ホットスパー退団(6月)
現役引退 |
| 1999年 |
引退試合(VfBシュツットガルト主催、5月) |
| − −
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| 2004年 |
ドイツ代表監督就任(7月) |
 クリンスマン監督就任時の人選を巡るゴタゴタ劇(2004年06月23日〜08月01日)
2004年6月24日、第8代ドイツ代表監督だったルディ・フェラー氏は、欧州選手権ポルトガル大会でのグループリーグ敗退の責任を取る形で、代表監督辞任を発表した。
それから約1ヶ月、後任人事の人選を巡り、すったもんだが繰り返された(監督の人選を巡る経緯は下記参照)。それもそのはず、自国開催のW杯での優勝という高い目標を前に、EUROではグループリーグ敗退というチームレベルの低落。残された時間は2年間しかなく、決して容易な仕事ではなかった。つまり、誰も引き受けたがらなかったのである。
結局、落ち着いた先は、未経験の若手指導者であった。ユルゲン・クリンスマン氏。元ドイツ代表主将である彼が、第9代ドイツ代表監督に就任した。また、元ドイツ代表FWのオリヴァー・ビアホフ氏がチームマネージャーとして、元シュツットガルト監督のヨアヒム・レヴ氏がコーチとして、脇を固めることになった。
6月23日(水) ドイツ代表、EURO2004にてチェコ代表に敗れてグループリーグ敗退。
6月24日(木) ルディ・フェラー第8代ドイツ代表監督が辞任を発表。
後任としてオットマール・ヒッツフェルト氏(前バイエルン監督)が有力視される。
6月26日(土) MV会長、監督選定は内密に行うとして情報封鎖を示唆。Bild紙を筆頭にしたマスコミのスクープ合戦がスタート。
6月28日(月) ドイツサッカー協会(DFB)はヒッツフェルト氏と接触したことを公式に発表。
7月01日(木) ヒッツフェルト氏、代表監督就任を断る。「現在の私は、W杯までドイツ代表を手助けできるような状態にない。」
7月02日(金) MV会長、代表選定の長期化を示唆。「何か期限のようなものを設けることは望ましくない。」
7月03日(土) DFB副会長兼W杯組織委員会会長フランツ・ベッケンバウアー氏
、W杯に向けた暫定的な解決策を求める。
「時間ばかり経っても、結局は何の進展もないのでは。」
7月05日(月) 監督選定委員会(TFK)が発足。メンバーは、DFB会長ゲルハルト・マイヤー=フォアフェルダー氏(通称MV)、
DFB事務総長ホルスト・シュミット氏、ブンデスリーガ会長ヴェルナー・ハックマン氏、
DFB副会長兼W杯組織委員会会長フランツ・ベッケンバウアー氏。
7月07日(水) TFK第1回会合。代表監督候補としてオットー・レーハーゲル氏(現ギリシャ代表監督)の名前が挙がる。
7月10日(土) レーハーゲル氏、現職に留まるとして代表監督就任を断る。
7月11日(日) ベッケンバウアー副会長がローター・マテウス氏(ハンガリー代表監督)も代表監督の候補だとARDの
インタビューで発言し、「おいおいマテウスかよ!」と波紋が広がる。その後、マテウス案は却下される。
7月14日(水) ベッケンバウアー副会長、外国人起用を示唆。「外国人監督就任の方向へと向かっている。」その候補として、
フース・ヒディング氏(PSVアイントホーフェン監督)、モアテン・オルセン氏(デンマーク代表監督)、
アーセン・ヴェンゲル氏(アーセナル監督)の名前がメディアで取り沙汰される。
7月15日(木) ヴェンゲル氏が代表監督就任を断る。
7月16日(金) ヒディング氏、DFBから接触があったことを認める。オルセン氏は沈黙を守る。
サッカー好きで知られるシュレーダー独首相のコメント。「俺は立候補しないよ(笑)。」
7月19日(月) ベッケンバウアー副会長、ヴィンフリート・シェーファー氏(カメルーン代表監督)が候補の1人であることをコメント。
シュミット事務総長がTFK会合にて、ベルティ・フォクツ氏(スコットランド代表監督、元ドイツ代表監督)の
助言に基づき、ユルゲン・クリンスマン氏(元ドイツ代表主将)の起用を提案。
7月20日(火) MV会長とシュミット事務総長が、ニューヨークにてクリンスマン氏と接触。
7月21日(水) ユルゲン・クリンスマン氏を代表監督、オリヴァー・ビアホフ氏(元ドイツ代表FW)をマネージャー、
ホルガー・オジェック氏(前カナダ代表監督)をコーチとする3人体制が、最有力候補として明らかになる。
7月24日(土) クリンスマン氏が、DFBとの話し合いのために帰独、記者会見で代表監督就任に前向きであることをコメント。
7月26日(月) クリンスマン氏が2年契約で基本合意。第9代ドイツ代表監督に就任。
7月28日(水) ホルガー・オジェック氏が、クリンスマン氏との意見の相違からコーチ就任を拒否したことが発表される。
この日、既にクリンスマンが、次のコーチ候補としてヨアヒム・レヴ氏(元VfBシュツットガルト監督)と、
彼のヴァカンス先であるイタリアのコモで接触していたことがビルド紙によってスクープされる(29日付)。
7月29日(木) ドイツサッカー協会により、ユルゲン・クリンスマン氏のドイツ代表監督就任と、オリヴァー・ビアホフ氏の
チームマネージャー就任が正式に発表され、お披露目記者会見が行われる。
7月30日(金) ユルゲン・クリンスマン氏、40歳の誕生日。ラルフ・ラングニック氏がコーチ就任を拒否と報じられる。
しかし、ヨアヒム・レヴ氏のコーチ就任が、ドイツサッカー協会により発表される。
8月01日(日) ヨアヒム・レヴ氏、ドイツ代表コーチに正式就任。
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