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 2002年06月01日、オリヴァー・カーンがその輝かしいキャリアの中で初めてW杯本大会の舞台に立った瞬間だった。その時、彼はすでに32歳(さらにわずか2週間後には33歳に)になっており、カールスルーエでスタートとしたプロとしてのキャリアは16年目をむかえていた。
 クラブレベルでは既に世界を代表する名GKとして名を馳せていたオリヴァー・カーンではあるが、4年に1度の大会とはいえ、かくもW杯の出場機会に恵まれなかったのか。それは、ゴールキーパーという特殊なポジションの性格故に他ならない。すなわちどのようなフォーメーションを採用しようと、どんなに素晴らしいGKが複数いようと、ピッチに立てるゴールキーパーは1人だけなのである。
 幸か不幸か、ドイツは間違いなく長年ゴールキーパー大国として世界のトップに君臨してきた。とはいえ、ドイツ代表のGKとして活躍した選手というのは数えるほどしかいない。とりわけ、W杯と欧州選手権という2つの国際大会に絞って考えれば、戦後の西ドイツ代表そして現在のドイツ代表において、その大会選手リストに名を連ねた選手は、2002年W杯までにわずかに27人である。さらに、これら国際大会において、実際にドイツ代表GKとしてピッチに立つことができたのは、約50年間の間にたったの12人だけである。
 背番号1。正ゴールキーパーの証であるGKの称号である。ゴールキーパーというのはひじょうに分かりやすいポジションなのかもしれない。正ゴールキーパーが背番号1を背負いピッチの上に立ち、残りの1人ないし2人の控えGKはベンチで試合を観戦することになるのだ。ドイツはこれが実にはっきりしている。この背番号は事前に登録するものであるにも関わらず、実際の大会でも、例えばW杯についていえばスイスW杯以降の13大会において、背番号1以外の選手が正GKとしてゴールマウスを守ったのは62年チリ大会に出場したファーリアンだけである。それ以外は全て背番号1を託された「守護神」がほぼ全ての試合を担っている。あえて「ほぼ」と書く必要もないかもしれない。というのも、その例外は2度の3位決定戦、そして戦略的に控えメンバーでのぞんだ54年W杯のグループリーグでのハンガリー戦、この3試合で第2GKが起用されただけにすぎないからだ。
 さらに、以下の「基本的な系譜」をご覧頂ければ分かるが、基本的にドイツ代表のゴールマウスを守ってきた代表的な選手は数えるほどである。ウェンブリーゴールの立会人となった60年代のティルコフスキに始まり、ドイツサッカー史上に残る名GKである70年代のゼップ・マイヤー、そしてその後継者である80年代のシューマッハーが続く。さらに90年代はイルクナーやケプケが有名だ。前述のオリヴァー・カーンも90年代に既に一流GKとして認知されており、94年W杯からチームに帯同していたが、結局はこの2人の存在により、その活躍の舞台は2000年の欧州選手権までお預けとなった。このようなケースは他にも多い。シューマッハーの存在で長年控えGKとして過ごし、自国開催のEURO88で正GKとなったアイケ・インメルがその好例だろう。
 そこで本ページでは、この誇り高きドイツ代表GKポジションを担った選手たちを時系列的に紹介していく。過酷な競争を勝ち上がった一握りの選手達により形成されるドイツサッカー史の一系譜である。

  ◆基本的なドイツ代表GKの系譜

1960年代: ハンス・ティルコフスキ(ボルシア・ドルトムント)
1970年代: ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
1980年代: ハラルド・アントン・"トニー"・シューマッハー(1.FCケルン)
1990年代: ボド・イルクナー(1.FCケルン)、アンドレアス・ケプケ(1.FCニュルンベルク)
2000年代: オリヴァー・カーン(バイエルン・ミュンヘン)、???(???)

  ◆ドイツ代表のGKとして名を連ねた男たち

◎トニー・トゥレク(フォルトナ・デュッセルドルフ)
 ※1954年W杯正GK
 ※1984年逝去

○ハインリヒ・クヴィアトコフスキ(ボルシア・ドルトムント)
 ※1954年W杯第2GK、1958年W杯第2GK

△ハインツ・クブシュ(ピルマゼンス)
 ※1954年W杯第3GK
 ※1993年逝去

◎フリッツ・ヘルケンラート(RWエッセン)
 ※1958年W杯正GK

△ギュンター・サヴィツキ(VfBシュツットガルト)
 ※1958年W杯第3GK、1962年W杯第3GK
 ※ブンデスリーガ誕生時のシュツットガルトの正GK。

◎ハンス・ティルコフスキ(ヴェストファリア・ヘルネ→ボルシア・ドルトムント)
 ※1962年W杯正GK(背番号1だが出場ナシ)、1966年W杯正GK
 ※66年W杯でウェンブリーゴールに立ち会うことになった60年代の名GK。

◎ヴォルフガング・ファーリアン(TSGウルム) 全試合出場
 ※1962年W杯第2GK(全試合出場で事実上の正GK)
 ※ウルムの正GKとして活躍。現在はバリッチ、シマック、クゥラニー、リンケ、バスラー
   などの代理人としてRogonスポーツマネージメント社で活躍中。
 
△ギュンター・ベルナルド(ヴェルダー・ブレーメン)
 ※1966年W杯第2GK
 ※1964〜73年にブレーメンの正GKとして活躍。

◎ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
 ※1966年W杯第3GK、1970年W杯正GK、1972年EURO正GK、1974年W杯正GK、
   1976年EURO正GK、1978年W杯正GK
 ※70年代にバイエルンとドイツ代表で活躍した伝説のGK
   現在は指導者としてドイツ代表とバイエルン・ミュンヘンのGKコーチを兼務

○ホルスト・ウォルター(アイントラハト・ブラウンシュヴァイク)
 ※1970年W杯第2GK
 ※ブラウンシュヴァイクで正GKとして活躍後、ヘルタ・ベルリンにも移籍。

△マンフレッド・マングリッツ(1.FCケルン)
 ※1970年W杯第2GK
 ※MSVデュイスブルクで活躍後、1.FCケルンでも正GKとしてプレーしたが、71年の
   八百長事件に関与し、ブンデスリーガを去る結果に。

△ヴォルフガング・クレフ(ボルシア・メンヒェングラッドバッハ)
 ※1972年EURO第2GK、1974年W杯第3GK
 ※ボルシア・メンヒェングラッドバッハなどで正GKとして活躍。

△ノルベルト・ニグブル(FCシャルケ04) 
 ※1974年W杯第2GK
 ※シャルケ04、ヘルタ・ベルリンで正GKとして活躍。

△ルドルフ・カルグス(ハンブルガーSV)
 ※1976年EURO第2GK、1978年W杯第3GK
 ※70年代はハンブルクで、そして80年代前半はニュルンベルクで正GKとして活躍。

△ディーター・ブルデンスキ(ヴェルダー・ブレーメン)
 ※1978年W杯第2GK、1984年EURO第2GK
 ※1973〜87年のブレーメンの正GK。現在はブレーメンGKコーチとして活躍。

◎ハラルド・アントン・"トニー"・シューマッハー(1.FCケルン)
 ※1980年EURO正GK、1982年W杯正GK、1984年EURO正GK、1986年W杯正GK
 ※1974〜86年の1.FCケルンの正GK。現バイヤー・レバークーゼンGKコーチ。

◎アイケ・インメル(ボルシア・ドルトムント→VfBシュツットガルト)
 ※1980年EURO第2GK、1982年W杯第3GK、1986年W杯第3GK、1988年EURO正GK
 ※シューマッハーの控えGKだったが、自国開催のEURO88で檜舞台に。
   現在は元レバークーゼン監督のクリストフ・ダウム氏と行動を共にしており、ベジタクシュ、
   オーストリア・ウィーンでGKコーチとして活躍中

△ベルント・フランケ(アイントラハト・ブラウンシュヴァイク)
 ※1982年W杯第2GK
 ※1971〜85年のブラウンシュヴァイクの正GK。

△ヘルムート・ロレーダー(VfBシュツットガルト)
 ※1984年EURO第3GK
 ※シュツットガルト一筋で1977〜86年の同クラブ正GK。

△ウルリッヒ・シュタイン(ハンブルガーSV)
 ※1986年W杯第2GK
 ※ハンブルク、フランクフルトで正GKとして活躍、96/97シーズンにビーレフェルトで
   1シーズンプレーして引退。

◎ボド・イルクナー(1.FCケルン)
 ※1988年EURO第2GK、1990年W杯正GK、1992年EURO正GK、1994年W杯正GK
 ※レアル・マドリーに所属していたが2001年夏に引退。

△ライモンド・アウマン(バイエルン・ミュンヘン)
 ※1990年W杯第2GK
 ※1988年〜1994年にバイエルンの正GKとして活躍。オリヴァー・カーン入団と入れ替わりで
  バイエルンを去りトルコのベジタクシュで1年プレーして同クラブの国内優勝に貢献し引退。
  現在はバイエルンのフロントで、ファンクラブ支援室長を務める。

◎アンドレアス・ケプケ(1.FCニュルンベルク→フランクフルト→マルセイユ)
 ※1990年W杯第3GK、1992年EURO第2GK、1994年W杯第2GK、1996年EURO正GK
   1998年W杯正GK
 ※2001年夏、古巣ニュルンベルクの1部昇格に貢献したのを最後に引退。

オリヴァー・カーン(カールスルーエSC→バイエルン・ミュンヘン)
 ※1994年W杯第3GK、1996年EURO第2GK、1998年W杯第2GK、2000年EURO正GK
   2002年W杯正GK
 ※バイエルン・ミュンヘンで現役。

△オリヴァー・レック(ヴェルダー・ブレーメン)
 ※1996年EURO第3GK
 ※FCシャルケ04で現役。

イェンス・レーマン(FCシャルケ04→ボルシア・ドルトムント)
 ※1998年W杯第3GK、2000年EURO第2GK、2002年W杯第2GK
 ※ボルシア・ドルトムントで現役。

ハンス・ヨルグ・ブット(ハンブルガーSV→バイヤー・レバークーゼン)
 ※1998年W杯第3GK、2000年EURO第3GK、2002年W杯第3GK
 ※バイヤー・レバークーゼンで現役。

合計27人(◎10人、○2人、△15人)
[記号の説明] ◎正GK経験者、○出場経験のある控えGK、△出場経験のない控えGK

  ◆ 歴代ドイツ代表GK召集リスト

1954年W杯スイス大会(優勝)
トニー・トゥレク(フォルトナ・デュッセルドルフ)
ハインリヒ・クヴィアトコフスキ(ボルシア・ドルトムント)
ハインツ・クブシュ(ピルマゼンス)

 戦争が終わってから9年が経った1954年、戦後復興の希望の星だった西ドイツ代表がW杯スイス大会に出場。フリッツ・ワルター主将を中心としたチームは見事優勝という結果を残すことに。この時、西ドイツの正GKに選出されたのが、フォルトナ・デュッセルドルフのトニー・トゥレク。5試合出場6失点でドイツゴールを守った。また、決勝Tの組み合わせを考えてグループ2位通過を目論んでいたドイツは、グループリーグ最終戦のハンガリー戦を控え中心のメンバーでのぞんだ。3-8と大敗したこの試合では、第2GKであるクヴィアトコフスキがゴールに立った。

1958年W杯スウェーデン大会(ベスト4)
フリッツ・ヘルケンラート(RWエッセン)
ハインリヒ・クヴィアトコフスキ(ボルシア・ドルトムント)
ギュンター・サヴィツキ(VfBシュツットガルト)

 ディフェンディング・チャンピオンとして挑んだ1958年のチリ大会では、RWエッセンのヘルケンラートが正GKの座を射止め、5試合8失点の成績を残した。またフランスとの3位決定戦(3:6で敗退)では、前回大会に第2GKを務めたクヴィアトコフスキの出番になった。

1962年W杯チリ大会(ベスト8)
ハンス・ティルコフスキ(ヴェストファリア・ヘルネ) 背番号1、出場ナシ
ヴォルフガング・ファーリアン(TSGウルム) 全試合出場
ギュンター・サヴィツキ(VfBシュツットガルト)

 ドイツ代表の正GKというのは、伝統的に背番号1をつけ、基本的に全試合でゴールを守る選手を意味する。しかし、1962年チリ大会では、ティルコフスキが背番号1をつけたものの、彼は試合に1度も出場せず、代わってTSGウルムのヴォルフガング・ファーリアンが全試合に出場し、4試合2失点の結果を残した。また、第3GKにはブンデスリーガ誕生時のシュツットガルト正GKだったサヴィツキが名を連ねた。

1966年W杯イングランド大会(準優勝)
ハンス・ティルコフスキ(ボルシア・ドルトムント)
ギュンター・ベルナルド(ヴェルダー・ブレーメン)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)

 前回大会で背番号1を付けながら試合には出場しなかったティルコフスキが、このイングランド大会では名実共に西ドイツ代表の正GKとなり、6試合6失点。もっとも、疑惑のウェンブリーゴールの立会人となったことで、彼は有名な選手になった。またこの大会では出場機会こそないものの、ブレーメンのベルナルド、そしてバイエルンのゼップ・マイヤーが控えGKとして名を連ねた。

1970年W杯メキシコ大会(3位)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
ホルスト・ウォルター(アイントラハト・ブラウンシュヴァイク)
マンフレッド・マングリッツ(1.FCケルン)

 前回大会では第3GKだったゼップ・マイヤーが正GKの座につき、ここから70年代を彩るゼップ・マイヤー時代が幕を開けた。ゼップ・マイヤーは5試合でゴールを守り10失点。またウルグアイ相手の3位決定戦(1:0で勝利)では、ブラウンシュヴァイクのウォルターがゴールに立った。

1972年欧州選手権ベルギー大会(優勝)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
ヴォルフガング・クレフ(ボルシア・メンヒェングラッドバッハ)

 ギュンター・ネッツァーが評する史上最強のドイツ代表がこの1972年欧州選手権に出場したメンバー。正GKはバイエルンのゼップ・マイヤー、そして控えGKとしてライバル・ボルシアMGのクレフが召集された。なお、欧州選手権では92年までGK3名ではなくGK2名の召集が基本となる。

1974年W杯西ドイツ大会(優勝)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
ノルベルト・ニグブル(FCシャルケ04) 
ヴォルフガング・クレフ(ボルシア・メンヒェングラッドバッハ)

 自国開催のW杯で、国際大会3度目の正GKを務めたゼップ・マイヤーは、7試合4失点という安定した守りを見せて、チームの優勝に大きく貢献した。また、控えGKにはシャルケ04のニグブル、そしてEURO72に引き続きボルシアMGのクレフが入った。

1976年欧州選手権ユーゴスラヴィア大会(準優勝)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
ルドルフ・カルグス(ハンブルガーSV)

 引き続き、ゼップ・マイヤーが守護神として君臨。第2GKとして、ハンブルガーSVのカルグスが選出されたが、出番はなかった。

1978年W杯アルゼンチン大会(2次リーグ敗退)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
ディーター・ブルデンスキ(ヴェルダー・ブレーメン)
ルドルフ・カルグス(ハンブルガーSV)

 70年代最後の国際大会となるW杯アルゼンチン大会は、ゼップ・マイヤーにとっても最後の大舞台となる。そのゼップ・マイヤーが正GKとして全6試合に出場し5失点。また第2GKとしてブレーメンのブルデンスキが、第3GKとしてEURO76に引き続きカルグスが召集された。

1980年欧州選手権イタリア大会(優勝)
ハラルド・アントン・シューマッハー(1.FCケルン)
アイケ・インメル(ボルシア・ドルトムント)

 ゼップ・マイヤーに代わり新たな時代を作ったのが、80年代前半に活躍した"トニー"こと、ハラルド・アントン・シューマッハーである。また第2GKに選出されたがドルトムントのアイケ・インメル。88年欧州選手権で正GKとなったインメルは、それまでの間、シューマッハーの控えGKとして数年間を過ごすことになる。

1982年W杯スペイン大会(準優勝)
ハラルド・アントン・シューマッハー(1.FCケルン)
ベルント・フランケ(アイントラハト・ブラウンシュヴァイク)
アイケ・インメル(ボルシア・ドルトムント)

 シューマッハーが正GKとしてW杯に初出場を果たしたのが82年スペイン大会。準優勝という好成績をおさめたこの大会で、全7試合に出場したシューマッハーは10失点の成績。また彼の控えGKであるインメルが第3GKとなり、第2GKにはブラウンシュヴァイクのフランケが選出された。

1984年欧州選手権フランス大会(グループリーグ敗退)
ハラルド・アントン・シューマッハー(1.FCケルン)
ディーター・ブルデンスキ(ヴェルダー・ブレーメン)
ヘルムート・ロレーダー(VfBシュツットガルト)

 84年の欧州選手権では変則的に3人のGKが召集されることに(EURO96まではGK2名が基本)。正GKであるケルンのシューマッハーの他、78年W杯でも第2GKを務めたブレーメンのブルデンスキが第2GKとなり、またシュツットガルトのロレーダーが第3GKとなった。

1986年W杯メキシコ大会(準優勝)
ハラルド・アントン・シューマッハー(1.FCケルン)
ウルリッヒ・シュタイン(ハンブルガーSV)
アイケ・インメル(ボルシア・ドルトムント)

 シューマッハー最後の国際大会となったのが再び準優勝に終わった86年メキシコ大会。いわゆるマラドーナのW杯である。この試合でシューマッハは7試合10失点の成績でチームの決勝進出に貢献。また第2GKとしてハンブルガーSVのウルリッヒ・シュタインが召集、そしてアイケ・インメルがまたも控えGKとして第3GKの座についた。

1988年欧州選手権西ドイツ大会(ベスト4)
アイケ・インメル(VfBシュツットガルト)
ボド・イルクナー(1.FCケルン)

 長きに渡ってシューマッハーの控えGKに甘んじていたインメルが、自国開催の欧州選手権であるこの大会で、誇り高き西ドイツ代表の正GKとなった。また1.FCケルンの若きボド・イルクナーが第2GKとして選出された。

1990年W杯イタリア大会(優勝)
ボド・イルクナー(1.FCケルン)
ライモンド・アウマン(バイエルン・ミュンヘン)
アンドレアス・ケプケ(1.FCニュルンベルク)

 90年代前半は、ボド・イルクナーの時代といってよい。EURO88で既に第2GKとして召集されていたイルクナーは、正GKとしてW杯デビューを果たした。そして全7試合に出場し5失点という安定した守りを見せて、チームの優勝に大きく貢献。90年代前半を彩るドイツ代表正GKとしてのキャリアをスタートさせた。また第2GKにはバイエルンの守護神であるアウマンが、第3GKには後にイルクナーの後継者となるケプケが入った。

1992年欧州選手権スウェーデン大会(準優勝)
ボド・イルクナー(1.FCケルン)
アンドレアス・ケプケ(1.FCニュルンベルク)

 90年W杯から正GKを務めるイルクナーが守護神として君臨、第2GKには後継者ケプケが選出された。

1994年W杯米国大会(ベスト8)
ボド・イルクナー(1.FCケルン)
アンドレアス・ケプケ(1.FCニュルンベルク)
オリヴァー・カーン(カールスルーエSC)

 イタリア大会に続いてこの米国大会で2度目のW杯出場を果たしたのが正GKのイルクナー。5試合で7失点の成績を残したが、不振のチームとともにブルガリアに敗れてベスト8止まりで大会を去る結果に。またこの試合では、後に相次いで正GKの座につくことになる、アンドレアス・ケプケ、オリヴァー・カーンが、それぞれ第2、第3GKに選出された。

1996年欧州選手権イングランド大会(優勝)
アンドレアス・ケプケ(アイントラハト・フランクフルト)
オリヴァー・カーン(バイエルン・ミュンヘン)
オリヴァー・レック(ヴェルダー・ブレーメン)

 EURO96からはイルクナーに代わってケプケが正GKに就任し、同大会でのチームの優勝に貢献した。またバイエルン・ミュンヘンの正GKとなったオリヴァー・カーンは再び控えGKとなり、さらに第3GKとして当時ブレーメンに所属していたオリヴァー・レックが選出された。

1998年W杯フランス大会(ベスト8)
アンドレアス・ケプケ(オリンピック・マルセイユ)
オリヴァー・カーン(バイエルン・ミュンヘン)
イェンス・レーマン(FCシャルケ04)

 EURO96に続いてケプケが正GKとしてW杯の舞台に立ち、5試合で6失点の成績。残念ながらチームは準々決勝でクロアチアに敗れた。またオリヴァー・カーンは2度目となる控えGKとしてのW杯参加となり、また第3GKとして当時シャルケ04に所属していたレーマンが選ばれた。

2000年欧州選手権オランダ・ベルギー大会(グループリーグ敗退)
オリヴァー・カーン(バイエルン・ミュンヘン)
イェンス・レーマン(ボルシア・ドルトムント)
ハンス・ヨルグ・ブット(ハンブルガーSV)

 イルクナー、ケプケという90年代を彩るドイツの名GKの影に隠れる格好だったオリヴァー・カーンだったが、ようやくこのEURO2000で正GKの座にたどりついた。しかし、無能なリベック監督率いるドイツ代表はチームが完全崩壊し、1分2敗でグループリーグ敗退。カーンにとっては苦い正GKデビューとなってしまった。なお、控えGKとしてはフランス大会に続きレーマン(ドルトムントでプレー)が第2GKとして入り、またPKキッカーとして話題になったHSVのブットが第3GKとして名を連ねた。

2002年W杯日本・韓国大会(準優勝)
オリヴァー・カーン(バイエルン・ミュンヘン)
イェンス・レーマン(ボルシア・ドルトムント)
ハンス・ヨルグ・ブット(バイヤー・レバークーゼン)

 既にクラブシーンでの活躍から名GKでありベテランGKでもあったオリヴァー・カーンが正GKとして、そしてチームキャプテンとしてW杯の舞台に立った。そして歴代最高となる7試合3失点の安定した守りを見せてドイツの決勝進出に大きく貢献。とにかくブラジル相手の決勝での2失点のみが悔やまれる結果となったが、名実共に世界最高GKであることをアピールした。また第2、第3GKにはEURO2000と同じくレーマン、ブットが入った。




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