1954年W杯スイス大会(優勝)
トニー・トゥレク(フォルトナ・デュッセルドルフ)
ハインリヒ・クヴィアトコフスキ(ボルシア・ドルトムント)
ハインツ・クブシュ(ピルマゼンス)
戦争が終わってから9年が経った1954年、戦後復興の希望の星だった西ドイツ代表がW杯スイス大会に出場。フリッツ・ワルター主将を中心としたチームは見事優勝という結果を残すことに。この時、西ドイツの正GKに選出されたのが、フォルトナ・デュッセルドルフのトニー・トゥレク。5試合出場6失点でドイツゴールを守った。また、決勝Tの組み合わせを考えてグループ2位通過を目論んでいたドイツは、グループリーグ最終戦のハンガリー戦を控え中心のメンバーでのぞんだ。3-8と大敗したこの試合では、第2GKであるクヴィアトコフスキがゴールに立った。
1958年W杯スウェーデン大会(ベスト4)
フリッツ・ヘルケンラート(RWエッセン)
ハインリヒ・クヴィアトコフスキ(ボルシア・ドルトムント)
ギュンター・サヴィツキ(VfBシュツットガルト)
ディフェンディング・チャンピオンとして挑んだ1958年のチリ大会では、RWエッセンのヘルケンラートが正GKの座を射止め、5試合8失点の成績を残した。またフランスとの3位決定戦(3:6で敗退)では、前回大会に第2GKを務めたクヴィアトコフスキの出番になった。
1962年W杯チリ大会(ベスト8)
ハンス・ティルコフスキ(ヴェストファリア・ヘルネ) 背番号1、出場ナシ
ヴォルフガング・ファーリアン(TSGウルム) 全試合出場
ギュンター・サヴィツキ(VfBシュツットガルト)
ドイツ代表の正GKというのは、伝統的に背番号1をつけ、基本的に全試合でゴールを守る選手を意味する。しかし、1962年チリ大会では、ティルコフスキが背番号1をつけたものの、彼は試合に1度も出場せず、代わってTSGウルムのヴォルフガング・ファーリアンが全試合に出場し、4試合2失点の結果を残した。また、第3GKにはブンデスリーガ誕生時のシュツットガルト正GKだったサヴィツキが名を連ねた。
1966年W杯イングランド大会(準優勝)
ハンス・ティルコフスキ(ボルシア・ドルトムント)
ギュンター・ベルナルド(ヴェルダー・ブレーメン)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
前回大会で背番号1を付けながら試合には出場しなかったティルコフスキが、このイングランド大会では名実共に西ドイツ代表の正GKとなり、6試合6失点。もっとも、疑惑のウェンブリーゴールの立会人となったことで、彼は有名な選手になった。またこの大会では出場機会こそないものの、ブレーメンのベルナルド、そしてバイエルンのゼップ・マイヤーが控えGKとして名を連ねた。
1970年W杯メキシコ大会(3位)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
ホルスト・ウォルター(アイントラハト・ブラウンシュヴァイク)
マンフレッド・マングリッツ(1.FCケルン)
前回大会では第3GKだったゼップ・マイヤーが正GKの座につき、ここから70年代を彩るゼップ・マイヤー時代が幕を開けた。ゼップ・マイヤーは5試合でゴールを守り10失点。またウルグアイ相手の3位決定戦(1:0で勝利)では、ブラウンシュヴァイクのウォルターがゴールに立った。
1972年欧州選手権ベルギー大会(優勝)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
ヴォルフガング・クレフ(ボルシア・メンヒェングラッドバッハ)
ギュンター・ネッツァーが評する史上最強のドイツ代表がこの1972年欧州選手権に出場したメンバー。正GKはバイエルンのゼップ・マイヤー、そして控えGKとしてライバル・ボルシアMGのクレフが召集された。なお、欧州選手権では92年までGK3名ではなくGK2名の召集が基本となる。
1974年W杯西ドイツ大会(優勝)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
ノルベルト・ニグブル(FCシャルケ04)
ヴォルフガング・クレフ(ボルシア・メンヒェングラッドバッハ)
自国開催のW杯で、国際大会3度目の正GKを務めたゼップ・マイヤーは、7試合4失点という安定した守りを見せて、チームの優勝に大きく貢献した。また、控えGKにはシャルケ04のニグブル、そしてEURO72に引き続きボルシアMGのクレフが入った。
1976年欧州選手権ユーゴスラヴィア大会(準優勝)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
ルドルフ・カルグス(ハンブルガーSV)
引き続き、ゼップ・マイヤーが守護神として君臨。第2GKとして、ハンブルガーSVのカルグスが選出されたが、出番はなかった。
1978年W杯アルゼンチン大会(2次リーグ敗退)
ゼップ・マイヤー(バイエルン・ミュンヘン)
ディーター・ブルデンスキ(ヴェルダー・ブレーメン)
ルドルフ・カルグス(ハンブルガーSV)
70年代最後の国際大会となるW杯アルゼンチン大会は、ゼップ・マイヤーにとっても最後の大舞台となる。そのゼップ・マイヤーが正GKとして全6試合に出場し5失点。また第2GKとしてブレーメンのブルデンスキが、第3GKとしてEURO76に引き続きカルグスが召集された。
1980年欧州選手権イタリア大会(優勝)
ハラルド・アントン・シューマッハー(1.FCケルン)
アイケ・インメル(ボルシア・ドルトムント)
ゼップ・マイヤーに代わり新たな時代を作ったのが、80年代前半に活躍した"トニー"こと、ハラルド・アントン・シューマッハーである。また第2GKに選出されたがドルトムントのアイケ・インメル。88年欧州選手権で正GKとなったインメルは、それまでの間、シューマッハーの控えGKとして数年間を過ごすことになる。
1982年W杯スペイン大会(準優勝)
ハラルド・アントン・シューマッハー(1.FCケルン)
ベルント・フランケ(アイントラハト・ブラウンシュヴァイク)
アイケ・インメル(ボルシア・ドルトムント)
シューマッハーが正GKとしてW杯に初出場を果たしたのが82年スペイン大会。準優勝という好成績をおさめたこの大会で、全7試合に出場したシューマッハーは10失点の成績。また彼の控えGKであるインメルが第3GKとなり、第2GKにはブラウンシュヴァイクのフランケが選出された。
1984年欧州選手権フランス大会(グループリーグ敗退)
ハラルド・アントン・シューマッハー(1.FCケルン)
ディーター・ブルデンスキ(ヴェルダー・ブレーメン)
ヘルムート・ロレーダー(VfBシュツットガルト)
84年の欧州選手権では変則的に3人のGKが召集されることに(EURO96まではGK2名が基本)。正GKであるケルンのシューマッハーの他、78年W杯でも第2GKを務めたブレーメンのブルデンスキが第2GKとなり、またシュツットガルトのロレーダーが第3GKとなった。
1986年W杯メキシコ大会(準優勝)
ハラルド・アントン・シューマッハー(1.FCケルン)
ウルリッヒ・シュタイン(ハンブルガーSV)
アイケ・インメル(ボルシア・ドルトムント)
シューマッハー最後の国際大会となったのが再び準優勝に終わった86年メキシコ大会。いわゆるマラドーナのW杯である。この試合でシューマッハは7試合10失点の成績でチームの決勝進出に貢献。また第2GKとしてハンブルガーSVのウルリッヒ・シュタインが召集、そしてアイケ・インメルがまたも控えGKとして第3GKの座についた。
1988年欧州選手権西ドイツ大会(ベスト4)
アイケ・インメル(VfBシュツットガルト)
ボド・イルクナー(1.FCケルン)
長きに渡ってシューマッハーの控えGKに甘んじていたインメルが、自国開催の欧州選手権であるこの大会で、誇り高き西ドイツ代表の正GKとなった。また1.FCケルンの若きボド・イルクナーが第2GKとして選出された。
1990年W杯イタリア大会(優勝)
ボド・イルクナー(1.FCケルン)
ライモンド・アウマン(バイエルン・ミュンヘン)
アンドレアス・ケプケ(1.FCニュルンベルク)
90年代前半は、ボド・イルクナーの時代といってよい。EURO88で既に第2GKとして召集されていたイルクナーは、正GKとしてW杯デビューを果たした。そして全7試合に出場し5失点という安定した守りを見せて、チームの優勝に大きく貢献。90年代前半を彩るドイツ代表正GKとしてのキャリアをスタートさせた。また第2GKにはバイエルンの守護神であるアウマンが、第3GKには後にイルクナーの後継者となるケプケが入った。
1992年欧州選手権スウェーデン大会(準優勝)
ボド・イルクナー(1.FCケルン)
アンドレアス・ケプケ(1.FCニュルンベルク)
90年W杯から正GKを務めるイルクナーが守護神として君臨、第2GKには後継者ケプケが選出された。
1994年W杯米国大会(ベスト8)
ボド・イルクナー(1.FCケルン)
アンドレアス・ケプケ(1.FCニュルンベルク)
オリヴァー・カーン(カールスルーエSC)
イタリア大会に続いてこの米国大会で2度目のW杯出場を果たしたのが正GKのイルクナー。5試合で7失点の成績を残したが、不振のチームとともにブルガリアに敗れてベスト8止まりで大会を去る結果に。またこの試合では、後に相次いで正GKの座につくことになる、アンドレアス・ケプケ、オリヴァー・カーンが、それぞれ第2、第3GKに選出された。
1996年欧州選手権イングランド大会(優勝)
アンドレアス・ケプケ(アイントラハト・フランクフルト)
オリヴァー・カーン(バイエルン・ミュンヘン)
オリヴァー・レック(ヴェルダー・ブレーメン)
EURO96からはイルクナーに代わってケプケが正GKに就任し、同大会でのチームの優勝に貢献した。またバイエルン・ミュンヘンの正GKとなったオリヴァー・カーンは再び控えGKとなり、さらに第3GKとして当時ブレーメンに所属していたオリヴァー・レックが選出された。
1998年W杯フランス大会(ベスト8)
アンドレアス・ケプケ(オリンピック・マルセイユ)
オリヴァー・カーン(バイエルン・ミュンヘン)
イェンス・レーマン(FCシャルケ04)
EURO96に続いてケプケが正GKとしてW杯の舞台に立ち、5試合で6失点の成績。残念ながらチームは準々決勝でクロアチアに敗れた。またオリヴァー・カーンは2度目となる控えGKとしてのW杯参加となり、また第3GKとして当時シャルケ04に所属していたレーマンが選ばれた。
2000年欧州選手権オランダ・ベルギー大会(グループリーグ敗退)
オリヴァー・カーン(バイエルン・ミュンヘン)
イェンス・レーマン(ボルシア・ドルトムント)
ハンス・ヨルグ・ブット(ハンブルガーSV)
イルクナー、ケプケという90年代を彩るドイツの名GKの影に隠れる格好だったオリヴァー・カーンだったが、ようやくこのEURO2000で正GKの座にたどりついた。しかし、無能なリベック監督率いるドイツ代表はチームが完全崩壊し、1分2敗でグループリーグ敗退。カーンにとっては苦い正GKデビューとなってしまった。なお、控えGKとしてはフランス大会に続きレーマン(ドルトムントでプレー)が第2GKとして入り、またPKキッカーとして話題になったHSVのブットが第3GKとして名を連ねた。
2002年W杯日本・韓国大会(準優勝)
オリヴァー・カーン(バイエルン・ミュンヘン)
イェンス・レーマン(ボルシア・ドルトムント)
ハンス・ヨルグ・ブット(バイヤー・レバークーゼン)
既にクラブシーンでの活躍から名GKでありベテランGKでもあったオリヴァー・カーンが正GKとして、そしてチームキャプテンとしてW杯の舞台に立った。そして歴代最高となる7試合3失点の安定した守りを見せてドイツの決勝進出に大きく貢献。とにかくブラジル相手の決勝での2失点のみが悔やまれる結果となったが、名実共に世界最高GKであることをアピールした。また第2、第3GKにはEURO2000と同じくレーマン、ブットが入った。