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ミヒャエル・バラック 選手、無断転載禁止

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  ◆ はじめに

 どんなに一流選手であっても、ドイツ代表の選手には誰もに、「代表デビューの日」がある。よく「世代交代」という言葉が代表チームを語る上で用いられるが、この「世代交代」を促す最も端的な方法が、新人選手を「代表デビュー」させることである。そして「世代交代」が進むというのは、「代表デビュー」した新人選手たちがその後も代表に継続的に召集されることに他ならない。
 1990年代後半から現在にかけて、ドイツ代表は大変厳しい時代をむかえた。もはや栄光の時代は過去のものとなり、94年、98年の2度のW杯ではいずれも準々決勝で、格下と思われたブルガリア、クロアチアに敗退。さらにEURO2000ではチームが完全崩壊し、1勝もできずにグループリーグ敗退となった。その中で、批判の矢面に立たされたのが、その古くさい戦術と同時に遅々として進まない「世代交代」であった。
 では、その厳しい90年代の「世代交代」はどのようなものだったのか。本コラムでは、各選手の代表デビューという側面から、90年代後半以降の現代ドイツ代表について見てみたい。以下に示されるのは、94年W杯以降の各選手の代表デビューについて時系列的まとめたデータである。そこには、数あるドイツ代表に関する論評に値してあまりあるほどの、歴史的事実がある。

※一部選手名の後ろにある(数字)は、(1)EURO96、(2)98年W杯、(3)EURO2000、
  (4)02年W杯の登録選手であったことを示す。

  ◆ 94年W杯前に代表デビューし、2000年以降も活躍した主な選手たち

 今回のコラムでは、主に94年米国W杯以降のドイツ代表について考察しているが、一部のベテラン選手は94年以前に代表デビューを果たし、世紀を越えてドイツ代表として活躍している。その代表格と言うべき選手がディフェンスの要、クリスティアン・ヴェアンスだろう。92年にレバークーゼン所属の選手として代表デビュー。その後、国際大会への出場機会にはケガなどもあり98年W杯のみとそれほど恵まれなかったものの、2003年現在も代表の一員として活躍している。また、左サイドのクリスティアン・ツィーゲは若い頃から才能ある選手として評価が高かった。実にEURO96以降日韓W杯までの国際大会には全て名を連ね、ドイツからイングランドへ活躍の場を移してからも結果を残している。
 この他、旧東欧からレバークーゼンのエースストライカーへと転身したウルフ・キルステンは、92年10月のメキシコ戦で統一ドイツ代表としてデビューしている。その後は代表ではEURO2000まで活躍、所属のレバークーゼンでもエースとして高く評価された。このメキシコ戦は、ドイツ統一を祝して旧東ドイツのドレスデンで開催されたもの。この時、キルステンの他に東ドイツ系選手ということで地元ドレスデンのハイコ・ショルツが代表デビューを果たした。もっとも、2003年現在MSVデュイスブルク監督として指導者の道を歩んでいる同氏の代表歴は、この1試合のみに留まることになる。

※このうち国際大会で選手登録された選手の内訳人数は以下の通り
  EURO96:1人、98年W杯:3人、EURO2000:2人、02年W杯:1人
 
1992年04月22日[親善試合]△ 1 - 1 (A) vs チェコ代表
 クリスティアン・ヴェアンス(2)
  ※当時バイヤー・レバークーゼン、現ボルシア・ドルトムント
1992年10月14日[親善試合]△ 1 - 1 (H) vs メキシコ代表(ドレスデン)
 ウルフ・キルステン(2)(3)
  ※EURO2000を最後に代表引退、2003年レバークーゼンを引退しコーチ就任
 ハイコ・ショルツ
  ※元ドレスデンの旧東独出身選手、現MSVデュイスブルク助監督、代表歴はこの試合のみ
1993年06月10日[親善試合]△ 3 - 3 (N) vs ブラジル代表
 クリスティアン・ツィーゲ(1)(2)(3)(4)
  ※当時バイエルン・ミュンヘン、現トットナム・ホットスパー

[1994年W杯米国大会] 準々決勝でブルガリアに敗退

  ◆ 94年W杯〜EURO96の間に代表デビューを果たした選手たち(16人)

 ディフェンディング・チャンピオンとしてW杯に臨んだドイツ代表ではあったが、準々決勝で伏兵ブルガリアを前に思わぬ形で大会を後にすることになった。しかし、フォクツ監督は留任となり、次なる目標であるEURO96に向けて新たなチーム作りが開始された。
 94年W杯からEURO96にかけて、代表デビューを果たした選手はずばり下記の16名。うち、9名がEURO96本大会のメンバーとして名を連ねている。フォクツ監督がW杯後に数多くの新人選手をテストした試合といえば、94年10月のハンガリーとのアウェーマッチだろう。シーズン中のこの試合では、4人の選手が代表デビューを果たしており、その中には2002年W杯以降に再ブレイクしたフレディ・ボビッチの姿もあった。翌95年2月のスペインでの親善試合では、当時バイエルンで活躍していたマルクス・バッベルが、ドルトムントのフロイントとともに代表デビューを飾っている。2人とも、クラブシーンでは後にイングランドに渡ることになる選手である。
 前述のボビッチ、そして95年4月にデビューしたメーメット・ショル、さらには若きGKオリヴァー・カーン、フライブルクの新鋭ヨルグ・ハインリッヒと、その後のドイツ代表の面々が活躍した興味深い大会が、95年のシーズンオフに行われた「スイスサッカー協会100周年記念親善試合」である。ホスト国のスイス代表と、招待国のイタリア、ドイツの3チームにより行われたこの親善試合では、上記4選手の活躍が大きく報じられた。さらに、年末の南アフリカ遠征ではマルコ・ボーデが代表デビューを果たし、本大会を数ヶ月後に控えた96年2月のポルトガルとのテストマッチでは、EURO96でシンデレラボーイとなるオリバー・ビアホフが代表入りを果たした。
 こうして、新たな戦力の積み上げを成し遂げたドイツ代表は、イングランドにて統一ドイツ代表としては初めてとなる国際タイトルを手にすることになる。ただ、この優勝という美酒は、同時にその後進むことになるチームの高齢化に対する対応を遅らせることになる。

※このうち国際大会で選手登録された選手の内訳人数は以下の通り
  EURO96:9人、98年W杯:5人、EURO2000:5人、02年W杯:3人

◎EURO96予選期間中に代表デビューを果たした選手達
 
1994年09月07日
[親善試合]○ 1 - 0 (A) vs ロシア代表
 ラルフ・ウェーバー
  ※当時アイントラハト・フランクフルト、95年6月以降出場ナシ、現役引退?
1994年10月12日[親善試合]○ 0 - 0 (A) vs ハンガリー代表
 フレディ・ボビッチ(1)
  ※当時VfBシュツットガルト、その後ドルトムントなど経て、現ヘルタ・ベルリン
 オラフ・マーシャル
  ※前シーズンまでドレスデン所属で、その後カイザースラウテルン、99年7月以降出場ナシ
 ディルク・シュスター
  ※当時カールスルーエSC、現ヴィルヘルムスハーフェン(3部)、95年2月以降出場ナシ
 イェンス・トート(1)
  ※当時SCフライブルク、現VfBシュツットガルト、95年6月以降出場ナシ
 
1995年02月22日[親善試合]△ 0 - 0 (A) vs スペイン代表
 マルクス・バッベル(1)(2)(3)
  ※当時バイエルン・ミュンヘン、現リヴァプール、EURO2000を最後に代表引退?
 シュテファン・フロイント(1)(2)
  ※当時ボルシア・ドルトムント、現トットナム・ホットスパー、98年5月以降出場ナシ
1995年03月29日[EM予選]○ 2 - 0 (A) vs グルジア代表
 ハイコ・ヘルリッヒ
  ※当時ボルシアMG、翌シーズンからドルトムント、95年10月以降出場ナシ
1995年04月26日[EM予選]△ 1 - 1 (H) vs ウェールズ代表
 メーメット・ショル(1)(3)
  ※バイエルン・ミュンヘン、既に代表引退を示唆?

※スイスサッカー協会100周年記念親善試合(2試合)
 イタリアとともに招待されたドイツ代表は、スイスにて、イタリアとスイス相手に2試合の親善試合を実施。ハインリッヒとカーンがデビューした他、既に代表デビューとしているショルがスイス戦で45分間プレー、また同じく2戦目となるボビッチもイタリア戦でピッチに立った。
1995年06月21日[親善試合]○ 2 - 0 (N) vs イタリア代表
 ヨルグ・ハインリヒ(2)
  ※当時SCフライブルク、現1.FCケルン
1995年06月23日[親善試合]○ 2 - 1 (A) vs スイス代表
 オリバー・カーン(1)(2)(3)(4)
  ※バイエルン・ミュンヘン

1995年08月23日[親善試合]○ 2 - 1 (A) vs ベルギー代表
 マルコ・ハバー
  ※前シーズンまでラウテルン所属で、当時はシュツットガルト、95年12月以降出場ナシ
  ※現在はオモニア・ニコシア(ギリシャ)でプレー
 
◎EURO96前の調整期間に代表デビューを果たした選手達
 
1995年12月15日
[親善試合]△ 0 - 0 (A) vs 南アフリカ代表
 マルコ・ボーデ(1)(3)(4)
  ※ヴェルダー・ブレーメン、日韓W杯後に現役引退
 レネ・シュナイダー(1)
  ※代表歴はこの試合のみ、当時ハンザ・ロストック、昨季ハンブルガーSVが放出後、失業中?
1996年02月21日[親善試合]○ 2 - 1 (A) vs ポルトガル代表
 オリヴァー・ビアホフ(1)(2)(3)(4)
  ※日韓W杯後に代表引退、2003年キエヴォ・ヴェローナを最後に引退
 ヨルグ・アルベルツ
  ※98年9月以降出場ナシ、当時ハンブルガーSV、翌シーズンにグラスゴゥ・レンジャースへ
    出てから2001年HSVへ復活、現在は中国へ

[1996年欧州選手権イングランド大会] 優 勝

  ◆ EURO96〜98年W杯の間に代表デビューを果たした選手たち(10人)

 決勝ではチェコを破って見事欧州制覇を果たしたドイツ代表の未来は明るいものと思われた。EURO優勝は、次のW杯でのドイツの快進撃を予言させるといっても過言ではなかった。98年W杯を制したフランス代表がEURO2000で選手の入れ替えを最小限に留めていたのと同様に、優勝チームとしてまとまりつつあったドイツ代表に、新人がチャレンジする余地は少なかった。またW杯予選でのグループ分けにも恵まれ、さしあたり救世主のような選手のデビューを求める空気も乏しかった。したがって、96年秋から97年の秋にかけてのおよそ1年間において、代表デビューを果たしたのは6人。その中で98年W杯メンバーに選出されたのは、タルナートだけであった。
 そのような98年W杯前のドイツ代表の歴史において、覚えておくべき試合が97年11月に行われた南アフリカとの親善試合である。すでにW杯の出場権を獲得したドイツ代表は、半年後のW杯に向けた調整期間に入っていた。この中で行われた、このテストマッチでは、ハマン、イェレミース、リンケという2002年日韓W杯でも活躍した3人が代表デビューを飾った。そしてリンケを除き、ハマンとイェレミースについては、98年W杯のメンバーにも選ばれることになった。

※このうち国際大会で選手登録された選手の内訳人数は以下の通り
  98年W杯:4人、EURO2000:6人、02年W杯:5人

◎98年W杯予選期間中に代表デビューを果たした選手達

1996年10月09日[W杯予選] ○ 5 - 1 (A) vs アルメニア代表
 ミヒャエル・タルナート(2)
  ※当時カールスルーエSC、現マンチェスター・シティ、98年9月以降出場ナシ
 ステファン・パスラック
  ※当時ボルシアMG、現ニュルンベルク、98年9月以降出場ナシ
1997年02月26日[親善試合]○ 1 - 0 (A) vs イスラエル代表
 ダリウス・ヴォシュツ(3)
  ※VfLボーフム、2000年11月以降出場ナシ
1997年04月30日[W杯予選]○ 2 - 0 (H) vs ウクライナ代表
 イェンス・ノヴォトニー(3)
  ※バイヤー・レバークーゼン

1997年09月10日[W杯予選]○ 4 - 0 (H) vs アルメニア代表
 ラルス・リッケン(4)
  ※ボルシア・ドルトムント
 シュフェン・クメッシュ
  ※当時ハンブルガーSV、現FCシャルケ04、元ドレスデン、98年2月以降出場ナシ
 
◎98年W杯前の調整期間に代表デビューを果たした選手達
 
1997年11月15日[親善試合]○ 3 - 0 (H) vs 南アフリカ代表
 ディトマール・ハマン(2)(3)(4)
  ※当時バイエルン・ミュンヘン、現リヴァプール
 イェンス・イェレミース(2)(3)(4)
  ※当時TSV1860ミュンヘン、現バイエルン・ミュンヘン
 トーマス・リンケ(日韓W杯後に代表引退)(3)(4)
  ※当時FCシャルケ04、現バイエルン・ミュンヘン
1998年02月18日[親善試合]○ 2 - 0 (A) vs オマーン代表
 イェンス・レーマン(2)(3)(4)
  ※当時FCシャルケ04、ACミランを経て、現ボルシア・ドルトムント

[1998年W杯フランス大会] 準々決勝でクロアチアに敗退

  ◆ 98年W杯〜EURO2000の間に代表デビューを果たした選手たち(20人)

 思わぬ形でEURO96を制したドイツ代表は、そのことに甘んじてチームの刷新を怠ったまま、98年W杯をむかえた。そのことは、2年間で10人しか代表デビューを果たす選手がいなかったという事実、さらにその中で実際の大会に起用された選手は4人だけという事実が物語っている。
 EURO96の時には快勝した格下クロアチアに対して、W杯という表舞台で見事なリベンジを果たされ、無惨な姿で隣国開催の大会を後にしたドイツ代表。かつての持ち味である勝負強さは消え失せていた。
 大会後、それでもベスト8進出を果たしたことを前面にフォクツは代表のポストに留まり続けた。しかし、9月にマルタ島で行った2試合の親善試合では、格下マルタ相手に2-1と辛勝、ルーマニアには1-1の引き分けと、W杯での無惨な姿を裏付けるだけの結果が残った。実はこの遠征で、ノイヴィル、レーマー、リンク、バインリッヒなどの注目すべき若手選手がデビューを果たしているのだが、それよりもフォクツ時代の終焉という事実の方が大きな記憶として残るものとなった。
 結局、フォクツは監督の座から下りることになり、後任には"ドイツ代表史上、最低の監督"であるエリッヒ・リベック氏が就任した。そして年末までにラメロウ、ヤンカー、ツィックラーといった面々が代表デビューを果たすことになったが、同時にリベックはベテラン選手の再招集にドイツ代表再生を賭けることにした側面もあった。その代表格がローター・マテウスである。
 就任以来の3試合で勝ったのは格下モルドヴァだけという結果を前に、早くもマスコミやファンから不信感を買うことになったリベック監督。彼に対する低評価をさらに強めることになったのが、2月の米国遠征だった。前述のマテウスの他、メラーまでも代表復帰させたリベック。米国、コロンビアを相手に1分1敗という散々たる結果だけを残した。
 彼の率いるドイツ代表が次なる醜態を晒す結果になったのが、99年シーズンオフに行われたコンフェデレーションズ杯である。2006年W杯招致を訴えていたドイツサッカー協会は、シーズン開幕直前ということで調整期間が不可欠な各クラブの反対を押し切って、この大会への参加を表明。ヨーロッパ代表として勇んでこの大会に参戦したものの、ブラジルに1-4と大敗し、続くニュージーランドには2-0で勝ったものの、米国相手には0-2で敗れてグループリーグ敗退で終了。何の収穫も得られなかった。なお、この大会前の4月のスコットランド戦では若きミヒャエル・バラックが、またこのコンフェデ杯ではベルント・シュナイダーらが代表デビューを果たしている。
 それでもEURO2000の出場権を獲得し、本大会に向けた調整期間に入ると、バウマン、ダイスラーらが代表デビューを飾った。しかし、ダイスラーが代表デビューを果たした、EUROホスト国オランダとのアウェーでの親善試合では1-2と宿敵オランダ相手と負けを喫した。また、この試合の際、ロッカールームではリベック監督の指示に選手が従わず、選手と監督との分裂は決定的に。指揮官としての適性を欠いたリベックのもと、チームは空中分解したまま本大会をむかえることになった。

※このうち国際大会で選手登録された選手の内訳人数は以下の通り
  EURO2000:7人、02年W杯:8人

◎EURO2000予選期間中に代表デビューを果たした選手達

※マルタ島バレッタでの2試合の親善試合
1998年09月02日[親善試合]○ 2 - 1 (A) vs マルタ代表
 オリヴァー・ノイヴィル(4)
  ※当時ハンザ・ロストック、現バイヤー・レバークーゼン
 マルコ・レーマー(3)(4)
  ※当時ハンザ・ロストック、現ヘルタ・ベルリン
 パオロ・ロベルト・リンク(3)
  ※当時バイヤー・レバークーゼン、現エネルギエ・コットブス、00年8月以降出場ナシ
 シュテファン・バインリッヒ
  ※元ハンザ・ロストック、当時レバークーゼン、現ヘルタ・ベルリン、00年8月以降出場ナシ
1998年09月05日 △ 1 - 1 (N) vs ルーマニア代表
 クリスティアン・ネルリンガー
  ※前シーズンまでバイエルン、現ボルシア・ドルトムント、99年10月以降出場ナシ
  ※現在はグラスゴゥ・レンジャースでプレー

1998年10月10日[EM予選]× 0 - 1 (A) vs トルコ代表
 カルステン・ラメロウ(3)(4)
  ※バイヤー・レバークーゼン
1998年10月14日[EM予選]○ 3 - 1 (A) vs モルドヴァ代表
 カルステン・ヤンカー(3)(4)
  ※当時バイエルン・ミュンヘン、現ウディネーゼ・カルチョ
1998年11月18日[親善試合]△ 1 - 1 (H) vs オランダ代表
 アレクサンダー・ツィックラー
  ※バイエルン・ミュンヘン

※米国遠征
 10日間に及ぶ米国遠征は98年9月に就任したリベック監督の今後を占う一大イベントだったはずだが、格下の米国に完封負けし、コロンビア戦も10人の相手に引き分け、メディアの批判を受ける結果に。とりわけリベックによる古くさいリベロシステムの採用、マテウスとメラーの2人のベテランの代表復帰が非難の対象に。
1999年02月06日[親善試合]× 0 - 3 (A) vs 米国代表
 ミヒャエル・プレーツ
  ※ヘルタ・ベルリン(2003年引退)、00年4月以降出場ナシ
1999年02月09日[親善試合]△ 3 - 3 (N) vs コロンビア代表
 マルコ・ライヒ
  ※代表歴はこの試合のみ、当時カイザースラウテルン、現ヴェルダー・ブレーメン

1999年04月28日[親善試合]× 0 - 1 (A) vs スコットランド代表
 ミヒャエル・バラック(3)(4)
  ※当時カイザースラウテルン、その後レバークーゼンを経て、現バイエルン・ミュンヘン
 ホルスト・ヘルト
  ※当時1860ミュンヘン、現VfBシュツットガルト、99年7月以降出場ナシ

※コンフェデレーションズ杯(メキシコ・グアダラハラ)
 EURO96覇者のドイツ代表は欧州代表としてコロンビアで開催されたコンフェデレーションズ杯に参加。
グループBにてブラジル、ニュージーランド、米国と対戦。1勝2敗でグループ3位敗退の結果に終わった。
なお大会は、グループB1位のブラジルとグループA1位のメキシコが決勝で対戦、メキシコが4-3でブラジルを破る金星をあげて大会を制した。
 このコンフェデ杯は、FIFAが金儲けのためにやる無意味な大会との批判があったが、当時2006年W杯の自国誘致に必死だったドイツは、ブラッターFIFA会長に媚びを売るべくこの大会に参加。本来ならばW杯で優勝したフランスが出るべきところを、フランスの出場辞退によりドイツが代替出場することに。ちなみに前回大会である97年のサウジアラビア大会ではドイツは出場を辞退している。準備期間も1週間しかない中で、シーズン開幕直前ということで各クラブも意味のない大会への選手の貸出を渋り「1クラブ3人まで」の制限が設定され、結果として新人デビューを促す形に。4人の選手が代表デビューを果たしたが、後に代表で活躍した選手といえば日韓W杯で活躍したシュナイダーくらいなもの。そんな中で、上述の散々たる結果によりドイツはヨーロッパ中の笑い者に。
1999年07月24日[親善試合]× 0 - 4(N) vs ブラジル代表
 ロナルド・マウル
  ※この遠征で2試合出場したのみ、当時ビーレフェルト、現ハンザ・ロストック
 ハイコ・ゲルバー
  ※この遠征で2試合出場したのみ、前シーズンはニュルンベルクで、現VfBシュツットガルト
1999年07月28日[親善試合]○ 2 - 0 (N) vs ニュージーランド代表
 ベルント・シュナイダー(4)
  ※前シーズンまでアイントラハト・フランクフルトに所属、現バイヤー・レバークーゼン
1999年07月30日[親善試合]× 0 - 2 (N) vs 米国代表
 ムスタファ・ドゥガン
  ※トルコ系ドイツ人で当時フェネルバフチェで活躍、この試合の他、10月の対トルコ戦で
    残り数分ピッチに立ったが、それを最後に出場機会ナシ。現1.FCケルン

◎EURO2000前の調整期間に代表デビューを果たした選手達
 
1999年11月14日[親善試合] ○ 1 - 0 (A) vs ノルウェー代表
 フランク・バウマン(4)
  ※前シーズンまでニュルンベルクで、当時は既にヴェルダー・ブレーメン
2000年02月23日[親善試合]× 1 - 2 (A) vs オランダ代表
 セバスティアン・ダイスラー(3)
  ※当時ヘルタ・ベルリン、現バイエルン・ミュンヘン
 ゾルタン・セベスケン
  ※代表歴はこの試合のみ、当時VfLヴォルフスブルク、現バイヤー・レバークーゼン
2000年06月07日[親善試合]○ 8 - 2 (H) vs リヒテンシュタイン代表
 ハンス・ヨルグ・ブット(3)(4)
  ※当時ハンブルガーSV、現バイヤー・レバークーゼン

[2000年欧州選手権オランダ・ベルギー大会] グループリーグ敗退

  ◆ EURO2000〜02年W杯の間に代表デビューを果たした選手たち(10人)

 1勝もできずにグループリーグ敗退という過去最悪の結果を残して大会を後にしたドイツは、ヨーロッパ中の笑い者であった。もちろんリベックは監督の座を追われ、後任には国民的アイドルのルディ・フェラー氏が就任。監督ライセンスを持たない彼の参謀役として、若くしてドルトムント監督にも挑戦したミヒャエル・スキッベがコーチの役に就いた。
 フェラー監督の持論は「EUROの敗退はメンバーに問題があるからではなく、このメンバーでチームを上手く完成させれば、良いチームとして仕上がる」というものであった。したがって、いきなり新しい選手をテストするようなことはなく、事実、リベック時代には20人もの選手が無理やりデビューさせられたのに対して、フェラー監督のもとで日韓W杯までに代表デビューを果たしたのは10人だけである。では、彼は保守的すぎるのか?必ずしも、そうではない。むしろ効率的といった側面が結果として生じている。すなわち、彼の下で代表デビューした10人の選手のうち、実に6人もの選手が日韓W杯メンバーとして本大会でも選ばれているのである。
 この6人の選手の代表デビューは2001年前半に集中している。ちょうどイングランドとW杯予選のグループリーグでデッドヒートを繰り広げていた時期である。まず、2月にサンドニで行われたフランスとの親善試合でトルステン・フリングスがデビュー。続いて3月には筆者が現地観戦したW杯予選の対アルバニア戦で新星ミロスラフ・クローゼがドイツ代表のユニフォームを身にまとった。さらに5月にブレーメンで開催されたスロヴァキアとの親善試合では、アザモア、ベーメ、ケールの3選手が同時にデビューを飾った。3人とも、その後、日韓W杯メンバーに選出されるなど、その当時に誰が想像しただろうか。また、8月にはヴェアンスの代わりに追加召集されたメツェルダーがハンガリーにて代表デビュー。僅かなチャンスをものにして代表DFのレギュラーまで駆け上がったわけで、彼についてもその急成長ぶりは多くの人の予想をはるかに凌駕するものだったに違いない。
 「ミュンヘンの悪夢」の後にプレーオフでウクライナを破って、ようやくW杯出場権を獲得したドイツ代表。年明けからはW杯メンバーを決める仲間内での競争が激化し、その1つは3月の米国戦で行われた第3GK争い。ブットと第3GKの座を争うべく代表デビューしたのがフランク・ロストであったが、結局最終的にはブットが第3GKの座を射止めた。また翌4月のアルゼンチン代表との試合では、ブンデスリーガ得点王のマルティン・マックスがファンの声を受けて代表デビューを果たすも、時既に遅しということで、選好対象からは外れることになった。このようにある程度メンバーが固定されている中では、新しいメンバーが入り込む余地はもはやフェラー・ドイツ代表には残されていなかった。こうしたフェラー政権の持つ若干の保守性については、いろいろ批判の対象になることもあったが、それでもダイスラー、ショル、ヴェアンス、ノヴォトニーらのケガ人が相次いだものの、23人の代表選手が選出され、フェラー監督に信頼されたこれらのメンバーのもと、ドイツはW杯準優勝を達成するに至った。

※このうち国際大会で選手登録された選手の内訳人数は以下の通り
  02年W杯:6人

◎02年W杯予選期間中に代表デビューを果たした選手達

2000年11月15日[親善試合]× 1 - 2 (A) vs デンマーク代表
 インゴ・ヘルツシュ ※当時ハンブルガーSV、現バイヤー・レバークーゼン
2001年02月27日[親善試合]× 0 - 1 (A) vs フランス代表
 トルステン・フリングス(4) ※当時ヴェルダー・ブレーメン、現ボルシア・ドルトムント
2001年03月24日[W杯予選]○ 2 - 1 (H) vs アルバニア代表
 ミロスラフ・クローゼ(4) ※1.FCカイザースラウテルン
2001年05月29日[親善試合] ○ 2 - 0 (H) vs スロヴァキア代表
 ゲラルド・アザモア(4) ※FCシャルケ04
 ヨルグ・ベーメ(4) ※FCシャルケ04
 セバスティアン・ケール(4) ※当時SCフライブルク、現ボルシア・ドルトムント
2001年08月15日[親善試合]○ 5 - 2 (A) vs ハンガリー代表
 クリストフ・メツェルダー(4) ※ボルシア・ドルトムント

◎2002年W杯前の調整期間中に代表デビューを果たした選手達
 
2002年03月27日[親善試合]○ 4 - 2 (H) vs 米国代表
 トーマス・ブルダリッチ ※代表歴はこの試合のみ、当時レバークーゼン、現ハノーファー96
 フランク・ロスト ※当時ヴェルダー・ブレーメン、現FCシャルケ04
2002年04月17日[親善試合]× 0 - 1 (H) vs アルゼンチン代表
 マルティン・マックス ※代表歴はこの試合のみ、当時1860ミュンヘン、現ハンザ・ロストック

[2002年W杯日韓大会] 準優勝

  ◆ 02年W杯以後に代表デビューを果たした選手たち

 主力選手の多くをケガで招集できなかったW杯では、ドローにも恵まれてまさかの準優勝を果たすに至ったフェラー・ドイツ代表。しかし、それがそのまま4年後に控えた自国開催のW杯での優勝に結びつくなどと楽観的に考える者はいなかった。さしあたって、秋から始まるEURO予選にてフェラー政権の真価が問われることになった。すなわちW杯準優勝はフロックなのか否か?
 同時に、W杯を最後に代表引退を表明していたベテラン陣の穴埋めを急務だった。具体的にはDFリンケ、FWビアホフ、右サイドのアタッカーであるボーデの後任である。バラックをはじめとして中盤にタレントが多いドイツ代表。最終ラインの安定と前線の決定力という、ありがちの悩みを抱えていた。既に5月のクウェート戦では、次代の右ウィンガーとしてパウル・フライヤーが代表デビューを果たし、その後もコンスタントに代表に招集されるようになった。また新たなDF候補として代表デビューを果たしたのは、フリードリヒやラウであり、春先には若干遅れてヒンケルが名乗りをあげ、遅咲きのハートマンも代表デビューを果たした。一方FWの候補として代表入りしたのが、ラウトやクーラニーといった逸材である。この他、彼らの同年代であるボランチのハンノ・バリッチもU21代表からの昇格した選手の一人である。
 EURO予選では依然として伝統的な3バックスタイルを基調とするフェラー監督だが、親善試合を中心に若手の活きのいいサイドバックを活用して4バックスタイルの試行錯誤も繰り返している。今後はこうした後ろからの攻撃の組立に対応できる前線のくさびになれるセンターフォワードの選手の登場が待たれる。それが、クローゼなのかボビッチなのか、はたまたラウトやクーラニーなのかは分からない。それでも積極的な若手の起用が熾烈なポジション争いを生むことは間違いない。その一方で、時間的制約から試行錯誤の期間には限界があるのも事実だ。フェラー監督&スキッベコーチがどういうスタイルのサッカーを模索しているのか、それが分かりやすく選手に伝わる采配でなければ、チームが短期間にまとまらず空中分解という危険性も孕んでいる。行き当たりばったりや、救世主の出現を待っているのではダメだ。

◎EURO2004予選期間中に代表デビューを果たした選手達
 
※クウェート戦はW杯前だが、以下のメンバーはW杯後を見据えた若手から召集
2002年05月09日[親善試合]○ 7 - 0 (H) vs クウェート代表
 ダニエル・ビアロフカ ※当時TSV1860ミュンヘン、現バイヤー・レバークーゼン
 ファビアン・エルンスト ※ヴェルダー・ブレーメン
 パウル・フライヤー ※VfLボーフム
 クリスティアン・ラーン ※当時ザンクト・パウリ、現ハンブルガーSV

2002年08月21日[親善試合]△ 2 - 2 (A) vs ブルガリア代表
 ティム・ボロウスキ ※ヴェルダー・ブレーメン
 アルネ・フリードリヒ ※ヘルタ・ベルリン
2003年02月12日[親善試合]○ 1 - 3 (A) vs スペイン代表
 ハンノ・バリッチ ※バイヤー・レバークーゼン
 トビアス・ラウ ※当時VfLヴォルフスブルク、現バイエルン・ミュンヘン
 ベンヤミン・ラウト ※TSV1860ミュンヘン
2003年03月29日[EM予選]△ 1 - 1 (H) vs リトアニア代表
 ケヴィン・クーラニー ※VfBシュツットガルト
2003年04月30日[親善試合]○ 1 - 0 (H) vs セルヴィア・モンテネグロ代表
 アンドレアス・ヒンケル ※VfBシュツットガルト
 ミヒャエル・ハートマン ※ヘルタ・ベルリン

最終更新日: 2003年07月22日




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