父はフランスでもプレーしたサッカー選手、母は一流のハンドボール選手というスポーツ一家に育ったクローゼ。ポーランド出身で、父の仕事のためフランスに移住し6年間フランスで生活をし、ドイツへ。21歳の時、すなわち彼がドイツ・ブンデスリーガにデビューする前年に、ドイツ国籍を選択。以後、彼のドイツでのサクセスストーリーが展開されることに。 彼が注目されるのは、その急な右肩上がりのキャリアだろう。ブンデスリーガデビューは2000年4月で、シーズン終盤の2試合に途中出場し、2試合合計のプレー時間はわずかに16分、顔見せだけにとどまった。しかし、翌00/01シーズンにはレギュラーFWとして29試合に出場し9得点。特に2000年12月には3試合で5得点を量産し、一躍ラウテルンのエースとして注目され、年明け2月のウンターハッヒンク戦でも1ゴール。この結果、ルディ・フェラー監督によりW杯予選にサブとして呼ばれることになった。奇しくも、このウンターハッヒンク戦、そして代表デビュー戦となったアルバニアの2試合を現地で観戦する機会に恵まれた筆者にとっては、クローゼはドイツ代表の中でも特に親しみを感じる選手の一人である。 通常、リーガで活躍する新人選手が代表デビューするのは親善試合の場合が多く、2001年の場合は、2月のフランス戦でデビューしたフリングス、5月のスロヴァキア戦でデビューしたケール、アザモア、ベーメ、8月のハンガリー戦でデビューしたメツェルダーがその好例である(これら全ての選手が日韓W杯メンバーになったことを考えると2001年は当たり年だった)。その一方で、格下相手とはいえW杯予選でいきなり召集されたのが、クローゼだった。アルバニア、ギリシャと2試合の予選をこなすことになる3月の代表戦ウィークでドイツ代表に初めて加わったクローゼ。そのデビューの舞台は、前述の通りアルバニアとの試合でいきなりやってきた。 レバークーゼンのバイアレナで行われたこの試合。格下とはいえアルバニア相手には過去に何度も失点を許しているドイツ代表。この日も前半0-0で折り返す嫌なムード、ダイスラーのミドルシュートで先制するも、やはり失点して同点にされてしまいこのままズルズルと引き分けで終了?というムードが漂っており、応援のトーンはアルバニア系移民らによる祖国への声援が優勢だった。その中で後半も残り15分ほどになったところで、我がオリヴァー・ノイヴィルに代わって背番号18をつけた新人ミロスラフ・クローゼがピッチに登場。そして88分、ヤンカーが放ったシュートのこぼれ球に前線で素早く反応し、ヘディングでゴールに押し込んだクローゼ。この決勝ゴールが、チームに貴重な勝ち点3をもたらすことになった。さらに続く、アウェーのギリシャ戦でもやはり途中出場から1ゴールをマークしてチームの勝利に貢献。こうして彼の代表でのシンデレラ・ストーリーが幕を開けた。 ヤンカー、ノイヴィル、ビアホフといったレギュラーのストライカーがいたため、その後もサブとしての起用が続いたクローゼだが、年明けのイスラエルとの親善試合では、相次ぐ代表辞退の中で先発出場のチャンスをつかみ、自らのホームスタジアムであるフリッツ・ワルターシュタディオンで、地元ファンの声援の下、ハットトリックを達成する大活躍。さらにW杯前の壮行試合となったレバークーゼンでのオーストリア戦でも再びハットトリックを達成。このテストマッチ期間中に点の取れるストライカーとしてドイツ代表のレギュラーポジションまで登り詰めたクローゼ。W杯グループリーグでの活躍は今さら言うまでもない。 お気に入りのクローゼを筆者がスタジアムで観戦する2度目の機会は、その日韓ワールドカップの初戦、サウジアラビア戦だった。その試合で3度のヘディングシュートでハットトリックを達成したドイツ代表のエース、クローゼ。その名前は一気に世界中に知れ渡ることになり、さらに続くアイルランド戦、カメルーン戦でも1ゴールずつ追加する結果となった。 クラブレベルでも、W杯前の01/02シーズンは31試合に出場し、16得点をマーク。これは得点ランキングでリーガ5位の成績(トップはアモローゾとマックスの18得点)。このポーランド移民の青年は、2000年4月にデビューしてわずかに2年、すっかりブンデスリーガの看板選手の一人となった。しかし、ワールドカップ後は財政危機などのトラブルを抱えるクラブにおいて、彼自身もプレーに精彩を欠き、悩める時期が続いた。EURO2004後、5シーズンプレーしたカイザースラウテルンからヴェルダー・ブレーメンへ移籍。同クラブを退団したアイウトンの後釜として大きな期待を背負うことになったが、15ゴールをマークして、それに応えた。さらに、2007年夏には移籍金推定1200万EURで強豪バイエルン・ミュンヘンへ移籍。着実にキャリアアップをはかっている。 また、代表ではクリンスマン監督の下でもコンスタントに出場機会を得ており、ホームのカメルーン戦、アジアツアーの日本戦では、それぞれ2ゴールをマーク。2005年のコンフェデレーションズ杯はケガで参加できなかったが、その後の親善試合での起用を経て、ドイツ・ワールドカップのメンバーにも選出され、ポドルスキと2トップを組んだ。大会では開幕戦でいきなり2ゴール、エクアドル戦でも2ゴール、さらにアルゼンチン戦では貴重な同点ゴールを叩き込む活躍。4年前の日韓ワールドカップの時よりもさらにパワーアップ。貫禄のあるストライカーに成長を遂げた。 ※1978年6月9日生まれ、182センチ、74キロ。 ※2002年日韓W杯出場。 ※代表デビュー: 2001年03月24日[W杯予選]○ 2 - 1 (H) vs アルバニア代表 ※本人公式サイト: http://www.miroslavklose.de/
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