94、98年は控えとしてメンバーに名を連ねたが、W杯にて表舞台に立つのは3度目となる日韓W杯が初めてで、大会中には33歳になった。バイエルン・ミュンヘンでもすでに守護神として君臨しており、安定感は抜群。またゲルマン魂を今に伝える精神的支柱でもある。W杯予選では全10試合にてフル出場しており、W杯全7試合もフル出場でうち5試合で完封勝利に貢献するなどの大活躍は周知の事実。 カールスルーエSCに所属し誕生当時のブンデスリーガでプレーしていたDFである父の影響もあり、サッカーを始めたオリヴァー・カーンは、カールスルーエでキャリアを積み、各クラブに1つしかない狭き門のGKというポジションにおいて、苦労の末21歳の時にレギュラーポジションを獲得。天才肌というよりは努力家といわれる。そのポジション故に代表デビューも経験しないまま、94年米国W杯では第3GKとして登録されてチームに帯同。大会後の94/95シーズンに、25歳で名門バイエルン・ミュンヘンへの移籍が実現。最初のシーズンこそ23試合の出場にとどまったが、翌シーズンからは完全な正GKのポジションをキープ。以後、今日に至るまでバイエルン・ミュンヘンの守護神として世界的にも注目される活躍を続けている。 それでも、GK大国と言われるドイツでは代表レベルでの活躍の機会には恵まれず、控えGKとして95年のスイス代表との親善試合でとりあえず代表デビューを果たした。これはスイスサッカー協会100周年記念の大会で、イタリア、スイスとの親善試合であったが、同じく代表デビューを飾ったハインリッヒ、代表2戦目となるボビッチ、ショルらの若手と共に代表の舞台に立つことになった。それでもEURO96、98年W杯と、代表では引き続き「控えGK」としての時期を過ごす日々が続いた。 一方で、1999年にはバイエルン・ミュンヘンの守護神として5シーズン目にして初めてチャンピオンズリーグ決勝の舞台に立つことができた。しかし、かの「バルセロナの悲劇」をGKとして体験、1-0とリードしながらロスタイムに2失点を許してマンチェスター・ユナイテッドの三冠を前に涙を呑む結果となった。それでも国内リーグでは、98/99、99/00、00/01と三連覇を実現し、負け知らずのクラブで頼れるGKとして君臨。EURO2000を前に代表でもようやく正GKのポジションがまわってきて、EURO2000では正GKとして、大会中に31歳をむかえる中で、ようやく国際試合の表舞台に立つことができた。しかしリベック監督率いるドイツ代表はチームが崩壊して、1分2敗というボロボロの結果で敗退。オリヴァー・カーンの見せ場はなかった。 彼が国際舞台にて本当の意味でスターダムにのし上がったのは、2001年のチャンピオンズリーグ決勝だろう。ミラノで行われたこの試合で、スペインのバレンシアを相手にPK戦を制して勝利し、ついに欧州制覇を果たしたバイエルン・ミュンヘン。そのチームを支えたのはまさにオリヴァー・カーンであり、彼のキャリアの頂点といっても過言でない。30台に入った彼は、この優勝にも見られるがベテランGKとしての安定感を持つようになり、代表でも不動の守護神として活躍。GKというポジションから、キャプテンとしてチームの志気を高めることのできる選手でもあった。W杯での活躍はあえてふれるまでもなく、続くEURO2004でも守護神としてキャプテンとして全3試合でゴールマウスを守った。 しかし、その守護神カーンも安泰の時は長く続かなかった。EURO2004でのグループリーグ敗退後、フェラー監督の辞任を受けてユルゲン・クリンスマン氏が後任監督に就任。就任早々クリンスマンは、選手にナメられちゃいけないと人事に手をつける。すなわち、カーンからキャプテンマークを剥奪し、バラックを新キャプテンに据え、カーン不動のGKポジションに競争原理を導入。ローテーション制と称して、カーン以下、レーマン、ヒルデブラントにも平等のチャンスを与えることを宣言した。代表及びバイエルンのGKコーチを兼任し、カーンと二人三脚で歩んできたゼップ・マイヤーGKコーチは、このクリンスマンのやり方をあからさまに批判。ついにはライバルGKのレーマンに対して暴言を吐いたかどで、2004年10月のイラン遠征直後に解任されてしまった。後任には若きアンドレアス・ケプケGKコーチが就任。カーンの外堀は完全に埋められた。 こうしてローテーション制が組まれた結果、11月のカメルーン戦ではベンチに座るという屈辱的な体験をしたカーン。その後2年にわたるローテーションの結果、ドイツ・ワールドカップ直前に、レーマンの控えにまわることが監督から通告された。この衝撃的な発表により、多くのファンはワールドカップ前に彼が代表を引退するのではないかと考えたが、カーンは控えであってもチームに残る決断をした。このことは、メディアやファンに大いに好意的に受け止められた。むかえたドイツ・ワールドカップでは、控えGKとして毎試合ベンチに入った。そして、PK戦にもつれこんだ準々決勝のアルゼンチン戦では、PK戦を前にチームメイトでありライバルのレーマンと固い握手をかわした。また、3位決定戦では出場機会が与えられ、この試合を最後に代表引退を明らかにし、カーンのドイツ代表での挑戦は終わりを告げた。 さてプライベートでは、99年には2歳年下のジモーネ夫人と結婚、2人の間にはカタリナ・マリアちゃんという娘さんがいる他、2003年3月には待望の第二子、長男のダーフィトくんが誕生。趣味はゴルフと財テクというカーン、人気選手故にゴシップ紙にも数々のネタを配信してくれ、その活躍で世界No.1のGKを欲しいままにした日韓W杯後は、怪我で戦線離脱中にゴルフを楽しんで話題になったり、スペインとの親善試合では相手GKカシージャスとのユニフォーム交換を拒否するなど話題には事欠かない。マスコミには有り難い存在で、その後は長男誕生を間近に控える中でディスコ娘ヴェレーナに騙されて不倫旅行に出かけるなど、芸能人顔負けの"活躍ぶり"。結局ジモーネ夫人とは別れ、ヴェレーナとつきあい始めてしまったカーン。これからも、FCハリウッドの守護神からは目が離せない!? ※1969年6月15日生まれ、188センチ、90キロ。 ※2002年日韓W杯、2000年欧州選手権出場。 ※1998年W杯、1996年欧州選手権、1994年W杯登録選手。 ※代表デビュー: 1995年06月23日[親善試合]○ 2 - 1 (A) vs スイス代表 ※本人公式サイト: http://www.oliver-kahn.de/
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