ノルトライン・ヴェストファーレン州のハム出身。VfLボーフム、ハムSpvgg、TUS1910ヴィーシャーヘーフェンにてユース時代をすごし、2000年、16歳の時にユース選手としてFCシャルケ04に入団。01/02シーズンを前にプロ契約を果たすと、シーズン最終節に途中交代の形でファンの前にデビューを果たす。この時若干17歳6ヶ月。ホームでの最終戦、相手は、後の移籍先となるVfLヴォルフスブルクだった。 翌シーズン以降、シャルケのトップチームでプレーすることになったが、並み居るシャルケの強力FW陣の中でレギュラーの座を獲得するのは容易でなく、サブとしてベンチを温める状態が続いた。U21ドイツ代表としても活躍し、A代表入りも期待された04/05シーズンでも、25試合中、先発出場は5試合のみ。それでもスーパーサブとして、少ない時間の中で奮闘し続けた。とはいえ、これ以上控え選手に甘んじるのは本望ではなかった。また、シャルケがもてあましていた、この若手有望株を他のクラブが無視するはずもない。結局、移籍金400万EURでVfLヴォルフスブルクへの移籍が実現したのである。 さらに、シーズン終了後のコンフェデ杯に向けたメンバー招集の中で、代表のクリンスマン監督が、U21代表からの昇格としてハンケを指名。シャルケで控えとして過ごし続け早3シーズン。21歳にしてA代表にまでのぼりつめた。さっそく、5月31日に行われたバイエルン・ミュンヘンとの非公式戦(アリアンツ・アレナのこけら落としイベント)でドイツ代表としてプレーすると、6月8日のロシア戦で途中出場にて代表デビューを果たした。 つづくコンフェデ杯ではチュニジア戦で87分からの出場。しかし、長年スーパーサブとしてシャルケで培ってきた勝負強さ。途中出場からわずか2分でゴールをマーク。これが代表初ゴールとなった。その後もアルゼンチン戦、ブラジル戦とたて続けに途中出場でチャンスを得ると、3位決定戦のメキシコ戦では、同じ若手FWのポドルスキとともに先発出場の機会を得た。 しかし、この試合で狡猾なメキシコ人DFを相手に若さが露呈。試合中、何度も小競り合いで挑発された結果、後半早々、相手DFのカルロス・サルシードに対して悪質なファウル。そのまま一発レッドをくらってしまった。後日、この退場処分に追加して、FIFAはハンケに対して公式戦2試合の出場停止処分を発表。ワールドカップで予選免除されているドイツ代表にとって、次の公式戦はワールドカップ本大会を意味した。つまり、この出場停止処分により、ハンケは「ワールドカップにて最初の2試合に出場できない選手」というハンディキャップを背負ったのだ。 それでも、クラーニーとのFW枠争いに勝ち、ドイツ・ワールドカップメンバーに滑り込むことができた。しかし、本大会ではサブの役割をベテランのノイヴィル大帝に奪われ、結局、消化試合に等しい3位決定戦での出場のみに終わった。 クラブシーンでは、2シーズン過ごしたVfLヴォルフスブルクに別れを告げ、2007年7月移籍金推定450万EURでハノーファー96へ移籍。07/08シーズンからはハノーファー96のエースストライカーとして活躍している。 ※1983年11月05日生まれ、184センチ、75キロ。 ※代表デビュー: 2005年06月08日[親善試合]△ 2 - 2 (H) vs ロシア代表 ※本人公式サイト: http://www.mike-hanke.de/
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