ポーランドとの国境に接する町、ザクセン州のゲルリッツ出身のバラックはいわば旧東独地域出身の選手の一人(所属のバイエルンで先輩にあたるイェレミースも同郷)。ケムニッツァーFCからブンデスリーガの名門カイザースラウテルンに移籍したのが97年。カイザースラウテルンがまさかの2部降格からわずか1シーズンにて1部復帰した年である。このシーズン、16試合出場でブンデスリーガデビューを果たしたバラック。チームは1部復帰でいきなりリーガ制覇の快挙。翌シーズンは同クラブで30試合出場し4得点をあげたバラックは、レバークーゼンへ移籍することになる。1年目から活躍したバラックだったが、優勝のかかった最終節で痛恨のオウンゴールを許してしまい、優勝を逃すという悲劇の主人公に。在籍3シーズン目となった01/02シーズンはチームの中心選手としてその存在をアピール、チャンピオンズリーグ、ブンデスリーガ、ドイツ杯で優勝のチャンスを得た。しかし、いずれのタイトルも逃す結果に。タイトルへの欲求は彼に移籍を決意させ、シーズン途中の時点で既に常勝バイエルン・ミュンヘンへの移籍が決定した。 一方代表レベルでは、W杯予選にて9試合に出場しうち8試合フル出場、中盤でプレーするもプレーオフでの3得点を含む6得点とストライカー並の大活躍。ブンデスリーガ、代表ともに好調を維持して安定したプレーをしており、ドイツ中盤の要。W杯では必ずしも本来のパフォーマンスを示せたわけではないが、持ち前の勝負強さで準々決勝、準決勝では決勝点をたたき出した。しかし、準決勝では累積2枚目となるイエローをもらってしまい、夢の舞台であるW杯の決勝戦には出られず悲劇のヒーローに。 W杯後も、バイエルンでのパフォーマンスを代表でも発揮。EURO2004では、予選・本戦を通じて孤軍奮闘。低迷するドイツ代表の中で、唯一期待の持てる選手であった。2004年夏にクリンスマン新監督が就任すると、新キャプテンにも指名された。かねてより、皇帝ベッケンバウアーに肖って小皇帝と呼ばれていたエースは、名実共にチームを引っ張っていく存在となった。 キャプテンとして出場したドイツ・ワールドカップ、チームは3位の成績をおさめたが、本人はノーゴールで大会を終えた。大会後、新天地のチェルシーFCで新たなスタートを切った。髪も短くして心機一転と思われたが、シーズン前のコミュニティシールドでいきなり負傷デビュー。それでもシーズン開幕後は、チームの中核選手としてプレミアリーグやチャンピオンズリーグで活躍。また、引き続きキャプテンを務める代表チームでは、EURO2008予選の序盤に2得点をマーク。調子は上向きかに思われた。ところが、その後もケガのため戦線離脱。回復に時間がかかり、ドイツ代表に復帰したのは約11ヵ月後の2008年2月であった。 今や背番号13もすっかりお馴染みのものとなり、ルックスも良いのでアイドル視されているところがあるが、プライベートでは日韓W杯以前から、パートナーのシモーネさんとの間に子供がいたりする(ルイス君とエミリオ君、それぞれ2001年、2002年生まれの年子)。 ※1976年09月26日生まれ、189センチ、80キロ。 ※2002年日韓W杯、2000年欧州選手権出場 ※代表デビュー: 1999年04月28日[親善試合]× 0 - 1 (A) vs スコットランド代表 ※本人公式サイト: http://www.michael-ballack.com/
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