1963年8月24日、ドイツにてプロリーグの歴史が幕を開けた。いわゆるプロリーグとしてのブンデスリーガの誕生である。それ以前、ドイツのサッカーリーグはJリーグ以前の日本リーグのようにアマチュアリーグであった。各クラブに所属する選手は、サッカー以外に本職を持ち、余暇時間を使ってサッカーに取り組む状態だった。当時、旧西ドイツには、全国に5つのオーバーリーガなる地域リーグ(北部、南部、西部、南西部、ベルリン)が存在し、それぞれのリーグの優勝チームが、マイスターシャーレを争う決勝トーナメントに出場。これにより各シーズンの優勝チームを決定した。いわゆる初のマイスターシャーレ獲得チームはVfLライプツィヒであった。その後、第一次世界大戦による中断をはさみ、1920年代はニュルンベルクとフュルトによる近郊同士の優勝争いが時代を彩った。ドイツを代表するサッカー中心のスポーツ紙「Kicker」を発行するオリンピア出版の本社がニュルンベルクにあるのは、このころ発刊されたことに由来する。いわば、この時代、ドイツ・サッカーのメッカはニュルンベルクだった。1930年代に入ると、FCシャルケ04の活躍が目立った。また1940/41シーズンを制したのはラピド・ウィーン。ヒトラー政権の下、オーストリアがドイツ領であった時代である。敗戦後、西ドイツにてサッカーリーグが再開されたのは1947年。前述のオーバーリーガ体制でリーグ戦が各地にて行われた。しかし、アマチュアリーグのままではドイツサッカーは他のヨーロッパの強豪クラブよりも強くなれない、そんな危機意識があった。事実、当時ドイツのクラブはチャンピオンズカップなどのカップ戦での成績が決して芳しくなかった。その中で、ドイツ代表監督だったゼップ・ヘアベルガーは、イングランドに見られるようなプロ・リーグの構想を提唱。そして、前述の1963年、16チーム体制にてプロリーグたる「ブンデスリーガ」がスタートするに至った。
最初のシーズンを制したのは1.FCケルンだった。ブレーメン、1860ミュンヘンがそれに続いてリーガ制覇を果たしていった。一方、ドイツサッカーを代表する強豪クラブ、バイエルン・ミュンヘンは初年度はリーガに参加しておらず、2シーズン目からの参加となった。彼らがリーガを初めて制覇するのは68/69シーズンのことになる。しかし、1960年代にドイツ杯では3度の優勝を誇ったバイエルン。1966年には前年のドルトムントに続いてカップ・ウィナーズ杯を制し、ヨーロッパの他の強豪クラブとも肩を並べるようになった。
とはいえプロ化によりドイツサッカーが飛躍的に実力を上げたのは、1970年代になってからであろう。この時代は、まさにバイエルン・ミュンヘンとボルシア・メンヒェングラッドバッハとのライバル対決であった。69/70、70/71とボルシアMGが2連覇を達成すると、続いてバイエルンが3連覇の偉業を達成した。そして1974年にはとうとう悲願のチャンピオンズカップ優勝。さらに自国開催のW杯も制して、皇帝ベッケンバウアーのバイエルン、そして西ドイツは世界のサッカーの中心となった。W杯後、ライバルであるボルシアMGは、そのバイエルンをおさえて自らもリーガ3連覇を達成したが、バイエルンはチャンピオンズカップ3連覇という大記録でそれに応戦した。
70年代後半から80年代にかけて、ボルシアMGに代わり、そのバイエルンの新たなライバルとなったのが、ハンブルガーSVだった。ハンブルガーSVの2連覇などの間、リーガ優勝から遠のいたバイエルンであったが、80年代後半からは再び優勝回数を重ねることになった。
その80年代から90年代初頭にかけて、ドイツのクラブは大陸カップ戦のタイトルとは縁遠い時期が続き、レバークーゼンがUEFA杯を、ブレーメンがカップ・ウィナーズ杯を制するにとどまった。しかし、1996年にUEFA杯でバイエルンが優勝すると、その翌年、リーガ2連覇と国内で一大旋風を巻き起こしたヒッツフェルト監督率いるボルシア・ドルトムントがチャンピオンズリーグで優勝。さらにそのドルトムントの永遠のライバルであるシャルケ04がUEFA杯を制してこれに続いた。
これに触発されたか、それともその後の名将ヒッツフェルトの移籍によるものか、次の時代を彩ったのはバイエルン・ミュンヘンの強さだった。96/97、98/99、99/00、00/01と90年代後半はバイエルンが3連覇を含む4度の優勝を果たした。それに泣いたのは、2000年のレバークーゼンであり、2001年のFCシャルケ04である。国内リーグでの勢いそのままにバイエルンは、チャンピオンズリーグでも常連クラブとなった。そして、1999年バルセロナで行われたチャンピオンズリーグ決勝にバイエルンは進出。相手はマンチェスター・ユナイテッド。1-0でリードしロスタイムまでむかえ、誰もがバイエルンのビッグイヤー獲得を信じた。しかし、その後の悪夢は世界中のサッカーファンの知るところである。とはいえ、2年後の2001年にはミラノで行われた決勝に再び進出、バレンシアを倒してチャンピオンズリーグを制し、悲劇の呪縛から解かれた。
さらに、2002年、国内では万年2位と言われ続けたレバークーゼンが、国内リーガ、ドイツ杯、チャンピオンズリーグのそれぞれで優勝するチャンスを得た。しかし、全てのタイトルを準優勝という形で逃し、歴史には何も刻まれることはなかった。とはいえ、同年のUEFA杯ではリーガを制覇したドルトムントが準優勝、代表レベルではW杯でドイツ代表が準優勝。そして2006年には自国開催のW杯をひかえる。ドイツサッカーは、ブンデスリーガを中心に、今新たな栄光の歴史を刻みつつある。