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写真は「バイエルンvsドルトムント」後の記者会見場にて(copyright ANDO, Masazumi、転載禁止)
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>> 「安藤正純の特別コラム」バックナンバー(2004年10月)  [ 特別コラムトップページへ戻る

「安藤正純の特別コラム」 目次

vol.25 こんな報道もありなのかぁ?と深く考え込んでしまった! (2005年11月25日)
vol.24 新幹線通勤している選手がいるのだ! (2005年11月06日)
vol.23 さよなら、「ウェストファーレン」スタジアム (2005年10月14日)
vol.22 バイエルンにおける主役と脇役の違い (2005年10月08日)
vol.21 シャルケ04とクラーニィを見直したぞ (2005年10月04日)
vol.20 インテルが何だか嫌いなワケがわかったのだ (2005年09月06日)
vol.19 ドイツ代表7つの疑問 (2005年08月28日)
vol.18 絶望的な気分で見たシュツットガルト (2005年08月16日)
vol.17 ミュンヘンに住むことにしたぞ! (2005年08月03日)
vol.16 監督の本当の評価とは (2005年06月11日)
vol.15 いろいろ比較してみたい気持ちになったぞ (2005年04月23日)
vol.14 スタジアムのプレス席と最前列 (2005年03月31日)
vol.13 一度は行こうぜ、シャルケ04! (2005年03月02日)
vol.12 スタジアムで発見されたフーリガンの落とした物 (2005年02月13日)
vol.11 インタビュー記事、受けての論理と編集者の考えでギャップが (2005年01月23日)
vol.10 編集長と「副」編集長。本当の実力者はどちらだ?(2005年01月12日)
vol.09 引退後の生活は誰にでもドラマがあるのだ(2004年12月21日)
vol.08 代表チームが初来日、さてどんな結果になるか?(2004年12月08日)
vol.07 プレス席で思ったこと(2004年11月23日)
vol.06 10試合を観戦しての短評(2004年11月18日)
vol.05 VfBシュツットガルトを応援したくなるワケ(2004年11月12日)
vol.04 大衆紙と高級紙、「マテウス」評価の裏にある社風を感じる(2004年10月24日)
vol.03 ボルシアMGはなぜ没落したか?(2004年10月07日)
vol.02 幻に終わった稲本潤一のバイエルン入団だが(2004年09月27日)
vol.01 ドイツサッカーは面白くない? 冗談じゃない、真実を見つめよ!(2004年09月23日)
vol.00 著者プロフィール

「安藤正純の特別コラム vol.4

大衆紙と高級紙、
「マテウス」評価の裏にある社風を感じる


安藤正純=文・写真
text & photograph by Masazumi Ando


2004年10月24日

 中年オヤジだったら下劣と上品。学生だったら不良と優等。女性タレントならばブスと美人。

 世の中、どこでも二極化が味わえる。どんな分野でも圧倒的に中間層が多いはずなのに、マジョリティーは平凡ゆえ面白さに欠けるのか話題に上らない。これはサッカー界でも同様の現象だ。

 マテウスとクリンスマン、ダウムとヒッツフェルト、リュスマンとヘーネス。3組の名前を読んでハッとした人には表彰状を差し上げます。

 マテウス、ダウム、リュスマンは、選手・監督・GMとして何かと世間を騒がせ、大衆紙に格好の材料を提供し続けた御仁たちだ。対して別の3人は、口より知性と理性が先に動き、ある意味"大人の常識"に従って黙々と仕事を続けている代表格。当然、両者の仲は良いわけがない。

 ここで「だから後の3人が偉い。前の3人はバカだ」というつもりは毛頭ない。そんな発想が拡大したらヒトラーかポルポトになってしまう。類は友を呼ぶ、だから彼らを支持する人たちは大勢いるのである。その点を見失ってはいけない。

 クリンスマンがまだバイエルンにいた頃、私はクラブハウスで国内外3人の記者による共同インタビューに立ち会ったことがある。真面目で素直、嘘をつかず絶対に人を騙さない。そんな印象を受けた。実際、クリンジの性格はそういうものだ。これは幼い時代からの"義兄弟"がよ〜〜く教えてくれた。

 その2年後、私はクリンジの「敵」マテウスに会った。何度目かの新婚らしく、若妻(バイエルン所属ドクターの娘だって!)の手を握り、散歩を楽しんでいたところだった。我々が出会った場所は東京の銀座だ。え? 彼は横浜で開催される試合で世界選抜チームの一員として参加するため、前日に休暇先のバリ島から到着。その足で銀ブラをしていたのだった。

バイエルン・ミュンヘンのルンメニゲ会長実弟であるミヒャエル・ルンメニゲ氏(copyright ANDO, Masazumi、転載禁止) 考えてみたら、私は本当によくブンデスリーガの選手と偶然の出会いを果たしている。上野駅で京浜東北線に乗り込んだら目の前に浦和レッズ入団発表直後のウーベ・ラーンが通勤客と一緒に乗っていたり、成田空港で友人を待っていたら帰国したばかりのウーベ・バインやジョルジーニョ(鹿島)が隣にいたり、あるいはフランクフルト空港では韓国での代表試合を終えたばかりのゼ・ロベルトとアモローゾに会ったりと。もちろんみんな、声をかけて話を交わしましたよ♪

 で、マテウスである。「そうか、君はKICKERの特派員もやってるのか。じゃあ、明日の試合でオレが大活躍したって書いてくれよな、ワハハ」と愛想が良かった。

 イタリアに住み着いてしまった日本人選手の中には「イタリア語でしかインタビューは受けませんよ」とか言って、母国の記者をシャットアウトしているヤツもいるけど、マテウスは初対面の私に親切だった。ここで彼が私の挨拶に反応せず、プイッと横向いて仏頂面されても、こちらは文句を言えない。それがなかっただけでもマテウスは偉い。

 しかし、である。ドイツでの扱われ方は「大衆紙=マテウスの味方」「高級紙=マテウスの敵」で一致していた。思うにこれは、マジョリティー相手に販売部数を伸ばそうとする大衆紙と、哲学なり理性に欠ける人間を一人前として扱わない高級紙という社風から派生したものだと思う。

 ユース時代、合宿所のホテルのベッドで立小便をしたとか、つねに気に入らないチームメイトを罵倒するとか、品性に問題があるマテウスだが、それも世の不条理と考えたら目くじら立てるほどのものなのかどうか。

 高級紙の理想はきっと、スポーツマンとジェントルマンの見事な合体なのだろうが、そんな成功例、どのくらいあるのかなぁ…?

 マスコミの報道を鵜呑みにしてはいけない。コインは必ず表と裏があるのだ。我々は日々接している情報をどこまで信じ、どこから疑ったらよいのか――。マテウスの件を思い出すたびに私はこう自戒している。

(次回に続く)

(管理人注) 今回コラムとともに紹介する写真は、バイエルン・ミュンヘンのルンメニゲ会長実弟、ミヒャエル・ルンメニゲ氏です。93年9月に浦和レッズ入団。安藤さんはZDFテレビ局の通訳兼案内係として、来日してから丸2日間、ずっと彼に付き添われたそうです。写真は早朝NHKのスタジオにて撮影されたもの。ドイツの夜11時からのスポーツニュースに生出演する直前だったそうです。

「安藤正純の特別コラム vol.3

ボルシアMGはなぜ没落したか?

安藤正純=文・写真
text & photograph by Masazumi Ando


2004年10月07日

 ネッツァー、フォクツ、ハインケス、クレフ、ビンマー、ボンホフ、シモンセン、イェンセン、ビットカンプ、ダンナー、ケペル、クーリック――。最初の3名はいまでも有名だが、後の名前にピンと来たら、これはもう立派な"通"である。

 え、何それ?って……。ボルシア・メンヘングラッドバッハのことですよ、もう。

 今じゃ想像できないけど、70〜80年代の強さは空前絶後だった。ブンデスリーガは10年間で3連覇を含む5度優勝、UEFAカップも2度優勝、DFBカップとドイツスーパーカップも制覇した。

 当時、私はこのチームが大好きになった。憧れ、日本の誰よりも愛着を抱いた。好きになったワケは単純明快である。「攻撃、攻撃、攻撃、そしてまた攻撃」。これがチームのポリシーだったからだ。

「3点取られたっていい。4点返せばいいんだ」。故バイスバイラー監督はそう選手に指示した。ヘタに守備を意識するより攻撃に徹しろ、というのはまさに男気、まさにサッカーの醍醐味だった。だから男が男を好きになれたのだ。

 それが80年代に入るや、グラッドバッハは一気に没落する。2部陥落も味わい、いまはタダのチームに成り下がってしまった。まことに残念で仕方がない。

ギュンター・ネッツァー氏(copyright ANDO, Masazumi、転載禁止) 99年3月、私はチューリヒのレストランでギュンター・ネッツァーと会食した。そこはスイス1のレストランといわれ、壁にはピカソやシャガールの絵が飾られていた。

 「これを日本に持ち帰ったら、ン百万円になるのかぁ…」などと不謹慎な思いが頭を巡っていた私に、ネッツァーは高級赤ワインを何度も注いでくれた。黄桜ではない。焼酎でもない。高級赤ワインである。安酒に慣れていた私の舌は悶絶した。

 「スペインじゃ、ワインを左手で注がれると絶対に飲まない」「ワインの滴がテーブルクロスに垂れると(縁起が悪いので)、その滴を指ですくって額に持っていき十字を切るんだ。レアル・マドリードのチームメイトに教えてもらった」といった逸話を紹介し、ネッツァーは客人を和ませてくれた。評論家として傲慢だとの声もあがるネッツァーだが、接客術は超一流であった。

 知らない人のためにちょっと紹介するが、ネッツァーとは史上最高のチームと謳われた72年欧州選手権の中心メンバーで、現在はサッカー解説者を務める超有名な業界人である。

 本業はスイスに本拠を置くコンサルタント会社の重役なのだが、この会社、実は06年W杯と05年以降のブンデスリーガのTV放映権を握っている。放映権獲得競争ではネッツァーの資金力が注目されたが、ここではこれ以上のことは書けない。

 ネッツァーはグラッドバッハ没落の原因をすべて教えてくれた。

 1. 無能なマネジャー、2. バイスバイラー監督の辞任、3. 中長期のビジョンがない経営陣、4. 小さすぎたスタジアム――。細部について知りたい人はあまりいないだろうから詳しくは紹介しないが、こういった要素が重なり、グラッドバッハはあっという間に落ちぶれたのである。ボスマン判決の影響などまったく関係ない。

ギュンター・ネッツァー氏と著者(copyright ANDO, Masazumi、転載禁止) グラッドバッハの没落と反比例するように、80〜90年代はバイエルンとHSVが全盛を極めた。それは両チームに片やヘーネスが、片やネッツァーがGMとして抜群の腕を振るったからでもある。だからこそ、ネッツァーの話には重みが加わるのだ。

 チームに成功をもたらすカギは選手のパフォーマンスだけじゃない。監督の指導力と人脈、そしてGMを含む経営陣の能力と洞察力が深く関わっている。ところがマスコミの多くはこれらの要素を軽視し、成績不振の"犯人"をひたすら監督と選手に求める。これでは木を見て森を見ず、であろう。逆に言えば、フロントがしっかりしていればチームも躍進の下地が出来るというわけだ。

 バイエルン、ブレーメン、シュツットガルト、レバークーゼンを見よ。成功の見本がここにはある。ドルトムント、カイザースラウテルン、フランクフルトを見よ。彼らは大馬鹿フロントの見本である。年次総会の壇上で殴り合いの喧嘩を演じたり、乱脈経営で手も足も出ないチームが試合に勝てるわけない。だから私はこんなボケナス経営陣がふんぞり返っているチームに明日はないと思っている。

 ドルトムントの不振はニーバウム会長に最大の責任がある。彼こそ癌細胞だ。その昔、オットマール・ヒッツフェルト元監督が、独裁的な会長のご機嫌を損ねないようにテニスの試合でわざと負けたことなどは会長の偽善ぶりを象徴しているではないか。

 ちなみにドイツの諺にこんなのがある。『魚は頭から腐る』。グラッドバッハは頭から腐ったから没落したのである。

(次回に続く)

安藤正純(Masazumi Ando) プロフィール

 鉄人ヘーゲレ記者、レキップ誌編集長、KICKER副編集長、Times紙デスクら、欧州各国のトップジャーナリストと強力なネットワークを持つドイツ通。サッカーのほか、テニスの企画記事も得意。趣味は寄席通い。

Copyright(C) 2004 Masazumi Ando. All Rights Reserved.
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