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「安藤正純の特別コラム vol.3」
ボルシアMGはなぜ没落したか?
安藤正純=文・写真
text & photograph by Masazumi Ando
2004年10月07日
ネッツァー、フォクツ、ハインケス、クレフ、ビンマー、ボンホフ、シモンセン、イェンセン、ビットカンプ、ダンナー、ケペル、クーリック――。最初の3名はいまでも有名だが、後の名前にピンと来たら、これはもう立派な"通"である。
え、何それ?って……。ボルシア・メンヘングラッドバッハのことですよ、もう。
今じゃ想像できないけど、70〜80年代の強さは空前絶後だった。ブンデスリーガは10年間で3連覇を含む5度優勝、UEFAカップも2度優勝、DFBカップとドイツスーパーカップも制覇した。
当時、私はこのチームが大好きになった。憧れ、日本の誰よりも愛着を抱いた。好きになったワケは単純明快である。「攻撃、攻撃、攻撃、そしてまた攻撃」。これがチームのポリシーだったからだ。
「3点取られたっていい。4点返せばいいんだ」。故バイスバイラー監督はそう選手に指示した。ヘタに守備を意識するより攻撃に徹しろ、というのはまさに男気、まさにサッカーの醍醐味だった。だから男が男を好きになれたのだ。
それが80年代に入るや、グラッドバッハは一気に没落する。2部陥落も味わい、いまはタダのチームに成り下がってしまった。まことに残念で仕方がない。
99年3月、私はチューリヒのレストランでギュンター・ネッツァーと会食した。そこはスイス1のレストランといわれ、壁にはピカソやシャガールの絵が飾られていた。
「これを日本に持ち帰ったら、ン百万円になるのかぁ…」などと不謹慎な思いが頭を巡っていた私に、ネッツァーは高級赤ワインを何度も注いでくれた。黄桜ではない。焼酎でもない。高級赤ワインである。安酒に慣れていた私の舌は悶絶した。
「スペインじゃ、ワインを左手で注がれると絶対に飲まない」「ワインの滴がテーブルクロスに垂れると(縁起が悪いので)、その滴を指ですくって額に持っていき十字を切るんだ。レアル・マドリードのチームメイトに教えてもらった」といった逸話を紹介し、ネッツァーは客人を和ませてくれた。評論家として傲慢だとの声もあがるネッツァーだが、接客術は超一流であった。
知らない人のためにちょっと紹介するが、ネッツァーとは史上最高のチームと謳われた72年欧州選手権の中心メンバーで、現在はサッカー解説者を務める超有名な業界人である。
本業はスイスに本拠を置くコンサルタント会社の重役なのだが、この会社、実は06年W杯と05年以降のブンデスリーガのTV放映権を握っている。放映権獲得競争ではネッツァーの資金力が注目されたが、ここではこれ以上のことは書けない。
ネッツァーはグラッドバッハ没落の原因をすべて教えてくれた。
1. 無能なマネジャー、2.
バイスバイラー監督の辞任、3.
中長期のビジョンがない経営陣、4.
小さすぎたスタジアム――。細部について知りたい人はあまりいないだろうから詳しくは紹介しないが、こういった要素が重なり、グラッドバッハはあっという間に落ちぶれたのである。ボスマン判決の影響などまったく関係ない。
グラッドバッハの没落と反比例するように、80〜90年代はバイエルンとHSVが全盛を極めた。それは両チームに片やヘーネスが、片やネッツァーがGMとして抜群の腕を振るったからでもある。だからこそ、ネッツァーの話には重みが加わるのだ。
チームに成功をもたらすカギは選手のパフォーマンスだけじゃない。監督の指導力と人脈、そしてGMを含む経営陣の能力と洞察力が深く関わっている。ところがマスコミの多くはこれらの要素を軽視し、成績不振の"犯人"をひたすら監督と選手に求める。これでは木を見て森を見ず、であろう。逆に言えば、フロントがしっかりしていればチームも躍進の下地が出来るというわけだ。
バイエルン、ブレーメン、シュツットガルト、レバークーゼンを見よ。成功の見本がここにはある。ドルトムント、カイザースラウテルン、フランクフルトを見よ。彼らは大馬鹿フロントの見本である。年次総会の壇上で殴り合いの喧嘩を演じたり、乱脈経営で手も足も出ないチームが試合に勝てるわけない。だから私はこんなボケナス経営陣がふんぞり返っているチームに明日はないと思っている。
ドルトムントの不振はニーバウム会長に最大の責任がある。彼こそ癌細胞だ。その昔、オットマール・ヒッツフェルト元監督が、独裁的な会長のご機嫌を損ねないようにテニスの試合でわざと負けたことなどは会長の偽善ぶりを象徴しているではないか。
ちなみにドイツの諺にこんなのがある。『魚は頭から腐る』。グラッドバッハは頭から腐ったから没落したのである。
(次回に続く)
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