|
「安藤正純の特別コラム vol.2」
幻に終わった稲本潤一のバイエルン入団だが
安藤正純=文・写真
text & photograph by Masazumi Ando
2004年09月27日
ウェストブロミッチ・アルビオンという、どうにもよく分からないチームに完全移籍した稲本潤一。負傷から回復してプレミアリーグで大いに活躍してほしいものだが、稲本の名前を聞くたびに、私はバイエルン・ミュンヘンを連想してしまう。
00年、代表チームにデビュー。01年コンフェデレーションズカップと02年W杯では、地味ながらも堅実で労を惜しまず随所にセンスの良さを光らせ、チーム躍進の柱となった。ちょうどレアル・マドリード時代のマケレレ、リバプールとドイツ代表のハマンと似たプレーだった。
01年7月、名門のアーセナル入団。かねてから稲本に興味を示していたベンゲル監督に、トルシエ日本代表監督(当時)が入団を薦めたという話だ。
だが、アーセナルより早くから稲本に注目していたチームがあった。それがバイエルンである。
バイエルンはコンピューターのデータベースに"稲本情報"をとっくに収集してあった。いつからチェックしていたかは機密事項なので教えてもらえなかったが、実際にスカウトも来日する計画になっていた。しかしスカウトの来日直前、稲本はケガをしてしまった。これでスカウトは実際の稲本を見る機会を失った。稲本獲得は自然と水に流れる形になった。
こうして稲本のバイエルン入団は幻に終わったわけだが、物語はこれで終わりじゃない。第2部があるのだ。だから、このコラムは面白いのである。
アーセナルで出場機会を得られない稲本は、活路を見出そうと必死だった。そこでバイエルンは「ウチに来ないか?」とラブコールを送った。だが稲本サイドは考慮の末、これを断った。
理由の1つは「せっかく英語を覚えたというのに、バイエルンに行ったらドイツ語を1から学ばないといけない」というものだった。語学習得の困難さに不安を感じたのであろう。
だが、これは明らかに稲本サイドの判断ミスだと思う。実際に私は関係者から一連の経緯を聞いたが、バイエルンは「イェンス・イェレミーズを移籍させ、彼のポジションを稲本のために用意した」。それほどバイエルンは稲本を欲しがっていたのだ。
稲本がもっとも心配した語学だが、バイエルンの選手の半数は英語でコミュニケーションをしている。ロイ・マカーイが最初のシーズンからあれだけチームに馴染めたのも、彼やチームメイト、そして首脳陣が達者な英語を操れるからだ。だから、稲本は語学の心配などまったく必要なかったのだ。
バイエルンの稲本移籍計画は03年6月、マーティン・ヘーゲレ記者が東京の「W杯開催1周年記念シンポジウム」で初めて明らかにした。その瞬間、会場を埋めた大勢の聴衆は「ウォー」と、どよめきの声をあげた。
もちろん私は最初から事情を知っていたから驚かなかったが、長い間、口止めされていたことだったので、「あぁ、これでやっとバイエルンと稲本について話せるようになったな」とホッとしたものだ。
で、物語はこれでお仕舞い……、ではない。何と第3部があるのだ。(凄い〜〜)
昨年8月、私は都内のホテルでマーティン・ヘーゲレ記者、カッレ・ルンメニゲ会長、ウリ・ヘーネスGMと落ち合った。多忙なルンメニゲ会長は「1泊2日」のスケジュールで来日した。記者会見を終えた彼らは、その足で日本代表戦を観戦するため、新幹線で新潟へと急いだ。
「90分いたら、帰りの新幹線に間に合わないぞ」と、時刻表を事前に調べて彼らのスケジュールを調整したのは私である。そのため、一行は前半戦を見ただけで東京にトンボ帰りせざるを得なかった。
何のために新潟へ? ここまで読んだら、もう察しがつくでしょう。物語はさらに続いたのですよ。主役? 稲本じゃないさ(当然)。大久保? う〜ん、でも今はねぇ…。
現時点でバイエルンへの日本人選手入団の話はないが、日本のサッカーが日進月歩の速さで成長していることは現地でよく知られている。バイエルンと日本の関係は意外にも根が深く、両者はこれから様々な面で相手を意識していくことが予想される。(これ以上は詳しく説明できませんけどね、ウフフ♪)
だから私はいつも心の準備をしている。「○×△、バイエルン移籍が決定!」「バイエルン、日本で△○×」という新聞の見出しがいつ出ても決して慌てないように。
(次回に続く)
|