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ドイツ代表 ミヒャエル・バラック 選手、無断転載禁止

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戦前50's60's70's80's90's00's

 3度のW杯優勝、3度のW杯準優勝、3度のW杯3位、3度の欧州選手権優勝、2度の欧州選手権準優勝、1954年からのW杯連続出場、1972年からの欧州選手権連続出場... ドイツ代表栄光の歴史を、代表全戦績で示す。

1945年以前 〜 戦前のドイツ代表 〜

 ドイツ代表が初めて代表レベルでの国際試合を行ったのは、1908年のことであった。スイスのベルンで行われた文字通りの「フレンドリーマッチ」。まだ代表監督はおらず、選手は協会が招待した選抜選手たちであった。
 その後、ドイツ代表はストックホルムやアムステルダムで開催されたオリンピックに参加。初めてワールドカップに参加したのは、1934年のイタリア大会で、この時3位の成績。続くフランス大会では、再試合の末、スイス代表に敗れ初戦で敗退している。このころのドイツ代表は、ナチス政権のもとで占領地で国際試合を行ったり、オーストリアの選手を代表に選出するなど、ナチスのプロパガンダとして利用されていた側面もあった。そして1942年を最後に、戦況の悪化の中、代表による試合は行われなくなる。

1950年代 〜 戦後復興期の希望の光 〜

 敗戦国ドイツは東西に分割され、そのうち西ドイツ代表による国際試合が再び行われたのは、1950年のことである。その西ドイツ代表は、国際復帰してからわずかに4年後の1954年、W杯スイス大会にて奇跡の優勝を遂げる。戦後復興期において、この西ドイツ代表の活躍は、疲弊した西ドイツ国民に希望の光を与えるものであった。

1960年代 〜 疑惑のウェンブリーゴール 〜

 西ドイツ代表が再びワールドカップで優勝のチャンスを得たのは、1966年のイングランド大会だった。しかしサッカーの母国といわれるイングランドで、西ドイツは疑惑のゴールにより失点し、決勝で敗れるという屈辱を味わう。サッカーにはつきもののホーム有利の判定に泣かされた西ドイツ代表と、判定に助けられての優勝で満足するイングランド。以後続くことになる両者のライバル関係は、この時確立された。

1970年代 〜 皇帝と自国開催W杯 〜

 続く70年のW杯メキシコ大会では、準々決勝でイングランドにリベンジを果たすも、20世紀の中でベストゲームの一つとして語りぐさになっている準決勝のイタリア戦にて死闘を繰り広げたドイツは、その結果3-4でイタリアに敗れるも、3位決定戦で勝利し、かろうじて3位の成績を残した。
 そして1974年の自国開催のW杯。皇帝ベッケンバウアー率いる西ドイツ代表は、すでに72年に欧州選手権を制しており有力な優勝候補の一つとしてこの舞台に立ち、とうとうホームスタジアムにて2度目のW杯制覇を果たす。決勝ではクライフ率いるオランダ代表と対戦。これも今世紀を代表するベストゲームの一つである。

1980年代 〜 自国開催の欧州選手権 〜

 確立された強い西ドイツ代表は、80年代もその力を維持し続けた。80年欧州選手権の優勝、82年及び86年W杯での準優勝は、その成果である。そして、むかえた自国開催の欧州選手権。準決勝まで進出した西ドイツ代表は、ライバルである隣国オランダ代表と対戦。最強オレンジ軍団の前に1-2で敗れ、つねにその強さを国際舞台で発揮するも、80年の欧州選手権以降、無冠のまま90年をむかえることになった。

1990年代 〜 優勝そして凋落 〜

 現役引退後、84年から代表監督となった皇帝ベッケンバウアーは、強い西ドイツ代表を維持するも、タイトルには恵まれていなかった。その彼が監督としてW杯をかかげることになったのが、90年W杯イタリア大会だった。
 1990年東西ドイツの統一とともに、ドイツ代表にもザマーらの東ドイツ出身選手が加わった。しかし、ベッケンバウアー勇退後の90年に代表監督に就任したフォクツのもとでは、世代交代が進まずチームの高齢化が進退する中、それでもフィジカルとゲルマン魂で何とかしようとするドイツが批判の対象となった。さらに、96年に欧州選手権を制したことが、こうした問題から批判の目を遠ざけてしまった。
 そして98年W杯にて新興クロアチア代表に準々決勝で敗れると、フォクツは辞任、後任にはリベックが就任するも、チームが再生することはなかった。

2000年代 〜 強いドイツへの回帰 〜

 リベック率いるドイツ代表は、2000年欧州選手権を迎えたが、大会前から既にチームは分解しており、1分2敗の最下位で1次リーグを敗退するという最悪の結果を残す。
 もはや完全に崩壊したドイツ代表だが、リベックに代わって国民的な人気があるルディ・フェラーが後任の監督に就任。フェラーは、欧州選手権での選手の選出に基本的な問題はない、これに戦術理解を加えれば必ず元の強いドイツに蘇ると主張。彼らの潜在的な力が決して弱くないことを訴えた。その一方で、ダイスラー、バラック、ケールなどの若手を積極的に召集し、世代交代を効果的に進めていった。その結果、プレーオフとはいえ02年W杯本大会への切符を確保。
 そして、日韓W杯では下馬評を覆す快進撃をみせ決勝に進出。ブラジルに敗れて準優勝の成績ながらも、帰国した時はヒーロー扱い。フェラードイツ代表はEURO2004経由で自国開催W杯へ突き進むものと思われた。
 しかし、2年後にポルトガルで開催されたEURO2004ではオランダ、チェコという隣国ライバルの前に屈しグループリーグ敗退。大会後にフェラー監督は辞任し、後任には若きクリンスマン監督が就任。クリンスマンは、保守的な協会組織を突き上げ、代表チーム改革に総合的に着手。新生ドイツ代表が、自国開催のW杯に向けて着々と準備が進められた。
 むかえた2006年ドイツW杯では、地元サポーターの応援を受けて快進撃。準決勝まで最高のパフォーマンスで勝ち進んだが、決勝目前でイタリアに敗れ、最終的に3位の成績。それでも、ドイツ・サポーターは記憶に残る戦いを重ねた代表選手を拍手喝采で讃えた。そして大会後、クリンスマン監督は勇退を発表。ドイツ代表チームはEURO2008、2010年W杯に向けてレーブ監督に引き継がれた。

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