Click here to visit our sponsor



スポンサー
Click here to visit our sponsor
 
>> 
2000年欧州蹴球観戦紀行   欧州蹴球観戦紀行トップページへ戻る

<< BACK | INDEX | NEXT >>

   2000年02月18日(金) シュリースハイム滞在

フランクフルトのメッセ(見本市)会場へ

 お世話になっている友人家族は、このシュリースハイムにて代々家庭用品店を経営している。そのため、商品の仕入れのために、ドイツ各地で行われるメッセ(見本市)には頻繁に足を運んでいる。とりわけ、この日より始まったフランクフルトのメッセは世界最大規模を誇るもので、友人は期間中、毎日車でフランクフルトまで通っていた。
 その友人に連れられて、私もメッセなるものに行ってみることに。もちろん私のような仕事とは無縁の日本人観光客はほとんど皆無。

拡大表示可能 拡大表示可能
アンビエンテ会場内で配布されていた冊子(左)、冊子に掲載されていた会場案内図(右)
※メッセ会場内は、写真撮影が一切禁止のため、この日の写真はナシ

 印象としては、とにかく会場がでかい。ほんとにでかい。とても一日では全てまわることなど不可能。そんな中、幾つかの日本からの出店も発見。またJETROが企画して日本の各地の物産を紹介するコーナーなどもあった。会場内には、寿司バーなるものもあり、まずい寿司を高い値段で売っている。「ものは試し」と買って食べてみたが、まずく、さらに腹まで痛くなる始末。
 それはともかく、メッセを体験した後、隣町のギリシャ料理屋に立ち寄り夕食をとって帰宅。

   2000年02月19日(土) シュリースハイム滞在

シュリースハイムという町

 一日シュリースハイムでのんびりしている。天気も悪く、お店の様子をみていたりして過ごす。午後、山奥にある美味いケーキ屋へ車で連れていってもらい、その美味いケーキとやら注文。うーむ美味。ただちょっと甘過ぎ。それがよいのかもしれないが...。

Photograph by Satoshi 拡大表示可能 Photograph by Satoshi 拡大表示可能
 シュリースハイム近郊にある美味しいレストラン「Burg Waldeck」

Photograph by Satoshi 拡大表示可能 Photograph by Satoshi 拡大表示可能
 手作りケーキの種類とティーカップのコレクションは圧巻
「CAFE KONDITOREI BAUER」

拡大表示可能 お店の絵葉書から

 さて、この日夜、2月25日のプラン変更を行った。2月17日の旅行記で書いたように、25日の「RCストラスブール vs ASモナコ」の試合が27日に延期になったため、私はスケジュール変更を余儀なくされていた。午前中に、町のタバコ屋で「Kicker」誌を立ち読みしていた私は、ブンデスリーガの2試合が25日に開催されることを確認した。24日までオランダにいて、26日にはレバークーゼンに行かねばならない私たちにとって、25日は時間的にフランス北部かドイツ、オランダの試合しか観戦は難しかった。すでにフランスは25日に試合がないことが分かっており、ドイツに的をしぼっていた。そのドイツでは、けっしてビッグゲームとはいえないが、25日に「ハンザ・ロストック vs SCフライブルク」と「アルメニア・ビーレフェルト vs SSVウルム1846」の試合があった。試合的には、ロストックの試合は中堅同士のゲーム、ビーレフェルトの方は下位同士の残留をかけた試合(結果としてどちらもシーズン終了後に降格...)。まあ、どっちでもいいし、せっかくだったら残留をかけた泥臭い試合の方がいいかもなんて程度に思った。その一方で地理的な問題として、ロストックは旧東独に位置するドイツの北東部。列車での移動にはかなり時間が必要と思われた。一方、ビーレフェルトなら、ケルンを拠点に日帰りで行けるし、翌日そのケルンからレバークーゼンまで30分くらいで行ける。さらにミラノへ行く夜行も出ているし、こちらなら都合が良い。というわけで、2月25日はビーレフェルトで試合を観戦することに決めた。今度はちゃんと「Kicker」誌でも確認済みだし、確実に観戦できるはずだと確信した。
 そこで、全てを円滑に行うべく、ドイツ語のエキスパートである友人家族(ドイツ人だから当たり前か)に頼んで、カールスルーエのホテルキャンセルとケルンのホテル予約を行ってもらった。何の問題もなく、どちらも完了し、万事準備OKとなったわけである(さて、2月25日はどうなっただろうか...続きは2月25日のページで)。

   2000年02月20日(日) シュリースハイム滞在

フェルドベルク

 2月20日、お世話になっている友人家族の2人の娘に連れられて、フライブルク近郊のスキーリゾート地「Feldberg」へ、マンハイムから日帰りスキーバスで行った。めちゃめちゃ早起きさせられ、長女の運転する車で、マンハイムまでまだ薄暗いアウトバーンを飛ばしまくる。スキーバスの待つ町外れの駐車場に車を止めて、スキーバスへ乗車。若い人を中心にスキーバスは満席だった。
 この日、スキー場横の特設ステージでは、地元ラジオ局「REGENBOGEN」のライブイベントが行われる予定で、バスの中で流れるラジオでも、もちろんその話題ばかり。今日そのイベントに行きますというリスナーとDJが電話でトークをしたりと、日本と同じような番組構成。そのラジオ番組をBGMに、バスは南のフェルドベルク(フライブルクの近く)に向けて、アウトバーンをひたすら南下する。私の前の席の若者グループは、たくさん買ってきた酒を朝から次々と開けていく。もっと味わいなさいと言いたくなるほどの早さだ(笑)。さらに、バスの添乗員にカネを払ってビールを大量購入。次々と開ける。さすがドイツ、というか日本も同じだが、バスの冷蔵庫にはかなりの数のビール瓶がストックされていた。
 そんなわけで、車内が酒臭くなる頃には、バスは銀世界の中へと入っていき、フェルドベルクのスキーリゾートへ到着。そこからは自由行動で、皆思い思いの時間を過ごす。

拡大表示可能 拡大表示可能
イベント入場チケット(左)、スキーのリフト券(右)

 ラジオ局によるライブイベントも特設ステージの方で行われていて、出たり入ったりできるので、出たり入ったりでときたま参加。DJの選曲でいろんな曲がかかり、みんな踊りまくっている。もちろん酔っぱらって。延々夜まで、隣のスキー場と行ったり来たりしながら、いろんな人が踊りに来る。夕方になって、スキー場がおしまいになると、多くの人が会場入り。みんなで肩を組んだりして、踊りまくりなのであった。

Photograph by Satoshi 拡大表示可能
地元ラジオ局のライブイベント

 なお、帰りのバス。飲み過ぎで病院送りとなったため、3人乗客が減る(笑)。それにしても、ドイツ人、朝から晩までほんとによく飲む。行きも帰りも、湯水の如く酒を飲んでいた。帰りのバスでは、多くの人が眠りについていたようで、私もうとうとしていると、へんなオヤジが横に座って来て、どつかれる。「なんだ?」と思うと、いろいろ文法のあやしい英語で話しかけてくる。酔っぱらいのご様子。「フランクフルトでオレは居酒屋をやっているから、世界のビールに詳しいんだ、アサイビールだって知ってるぞ」とのたまう。「アサヒだろ」というと、「発音なんていうのは、つまらない問題で...おいあの星を見てみろ、」と訳の分からない展開に持ち込まれる。さらに、ビールをおごってくれることに。なんと周りの席のみんなにおごってくれた。ビールを渡された若者がカネを払おうとすると、手に乗せられたそのカネを添乗員のお姉さんにそのカネを渡してしまった。お姉さんは当惑していた。ともあれ、そんなオジさんの酔っぱらい英語を聞き、マンハイムへ到着。スキーバスの旅は終わった。
 明日は、アムスへ出発する日だったため、今日が友人家族の家での最後の夜だった。というわけで、夕食を囲みつつ、夜遅くまで話が弾んだ。アムスといえば、とふられたので、「有名な絵がたくさんある美術館があるし、運河があるし、あと...あのビューティフル・ウィンドウがたくさんあるよね」と言ってみた。「飾り窓」を英語やドイツ語でなんというか分からなかったからだ。すると、友人はすぐに分かって、「そうだそれだ、ビューティフル、ビューティフル」とふざけて笑い、「ウチの子が小さかった頃、アムスへ連れていったら、窓の向こうのお姉さん一人一人に手を振ってまわっていた」なんていう話を聞かせてくれた。というわけで、シュリースハイム最後の夜が過ぎていった。

   2000年02月21日(月) シュリースハイム(→マンハイム)→ケルン→アムステルダム

アムステルダムへ向けて出発

 2月21日、昨日フェルドベルクに行くので早起きしたばかりなのに、この日も早起きを余儀なくされた。前の夜は寝たのが遅く、疲れもあったので、こりゃアムスに着いたら、寝るかと思いなんとか起床。というのも、次女の子が通う高校の1時間目の授業に参加する予定だったのだ。やがてその子も起きてきて、朝御飯を食べ、私の荷物は友人に預けて、その次女に連れられて、学校へ向かった。途中から親友らしき女の子がやってきた。学校までの道のりは歩いて15分くらい。この日の1時間目の授業は英語と聞いていた。その授業が始まる数分前に教室に到着。ドイツの高校の授業を体験することに。
 やがて、女性の先生登場。かなりこわそうな顔だ。この日の1時間目は英語というか、英語の授業兼イギリスの政治史。みんな実に一生懸命授業に参加しており驚く。というのも、外見はほとんどの人がピアスとかしていて、どちらかというとヤンキー風。人は外見で判断してはいけないものである。授業後、職員室へ向かうその先生としばしトーク。教室では入ってくるなり強面の表情だった先生だが、話してみるとやさしい口振りでそのギャップに驚く。その先生とお別れし、私は校門へ。次女とお別れして、校門で待っていた友人夫婦の車に乗車。マンハイムの駅まで送ってもらう。

拡大表示可能
マンハイム〜アムステルダム間の列車チケット、112.60DM(57.57ユーロ)

拡大表示可能 IR506 Kaiserstuhl号の「Reiseplan」

 「IR506 Kaiserstuhl号」は、バーゼルからハンブルクまで行く主要路線の一つ。私は、マンハイム→ケルンまでこの列車を利用。

 トーマスクックの時刻表でいうとテーブル910という路線で(このテーブル910や、南ドイツのテーブル930などは、旅行者が良く使う主要路線の一つ)、この路線は途中ライン河沿いを走るところがあり、車窓を楽しむことのできる路線である。

 マンハイムの駅で、その友人夫婦とお別れ。ホームが見えなくなるまで、列車の窓から手を振り、別れを惜しむ。そして、一路ケルン経由でアムステルダムへ向かう。ケルンまではライン河沿いを行くということで景色がきれいと聞いていたが、あいにく今日はコンパートメント車両で、窓際には予約が。そして、同じマンハイム駅から20代前半くらいのOL4人組が乗り込んできて、井戸端会議のおばさんみたいに延々とトークを展開していた。そんなわけで、肩身の狭い私は、あまり車窓の景色を楽しめず、なんだかんだしているうちにケルンへ到着となった。

「EC146 Piet Mondriaan」号の「Reiseplan」
 ケルンからアムステルダムへ行く際に利用した、「EC146 Piet Mondriaan」号の「Reiseplan」である。
 この路線は、ケルン発でアムス着で所要時間も約2時間40分とそれほど長い路線ではないが、国境を越える国際急行列車「Euro City」である。
 なお、この日はテストマッチ「オランダ代表対ドイツ代表」の試合を控えていたためか、ドイツ側の国境駅にて、かなりきちんとしたパスポートコントロールが実施された。私は日本人ということでただパスポートを見せるだけで終わったが、同じ車両に乗っていた人相の悪い若者グループに対しては、いろいろな質問が行われていた。

Photograph by Satoshi 拡大表示可能
EC146モンドリアン号、ケルン駅にて

拡大表示可能

 ケルン駅へ到着し、EC146モンドリアン号へ乗り換える。アムスへ向かうこの列車はケルン始発であり、客もそんなにいなかったので、快適な列車での移動を楽しめた。しかし、途中、ドイツからオランダへ入る際の国境で、ひじょうに時間がかかり、その分遅れてアムスへ到着することになった。それもそのはず、23日には、「オランダ代表 対 ドイツ代表」という大事なテストマッチが予定されており、ドイツフーリガン対策として国境警備が強化されていたようだ。
 アムステルダム駅に着いた私は、さっそくホテルへ。アムスへは2年半ぶり。2年前に利用してお気に入りになってしまった駅近くのホテルへ向かう。さっそくチェックインして荷物を下ろし、町へ出てみることにした。アムステルダムは、若い人が多く、活気のある町で裏通りからメインストリートまで、どこを歩いていても面白い。麻薬中毒もいればホモもいる町だが、人間のいろんな欲望が渦巻いていて、興味深い。映画「アムス→シベリア」を思い出しつつ、町を歩き、日が暮れる頃にシーフードのファーストフードで簡単な夕食にして、その後飲み物や食べ物をスーパーなどで買い込んでホテルへ戻った。そして、ホテルでまた食事の続きをしつつ、荷物を整え直したりして、明日から始まる「2000年 欧州蹴球観戦紀行」に備える。

いよいよ次のページからは「2000年 欧州蹴球観戦紀行」がスタート!

<< BACK | INDEX | NEXT >>

欧州蹴球観戦紀行トップページへ戻る
 

▲Page Top
Copyright(C) euronavi.net All rights reserved.